どんな小さな声にも耳を傾け、考える。
5個1ドル
この言葉を耳にしてから長く経ちますが今でもその情景、声のトーン、表情をそっくりそのまま思い出すことができます。それほど衝撃的であり、また忘れてはならないと強く感じた一言です。
私は高校3年生の時、カンボジアのある村にある学校を支援するボランティアに参加しました。地域の人たちは皆あたたかい方ばかりで、私たちボランティア参加者を優しく受け入れてくださいました。しかし電気や水道、道路整備などに関して、ところどころに「貧困」が垣間見えるようにも感じたのを覚えています。
活動の一環としてある観光地を訪れた際に、小さな女の子が5つブレスレットを持って私に話しかけてきました。
5個1ドル
弱々しい声で、寂しそうな目で、手作りのブレスレットを売りにきたのです。
きっとこの子は学校へ行っていません。ここで1ドルを払ってしまったら子どもたちが勉強せずにお金を稼ぐという悪循環に加担してしまうかもしれません。
しかし学校以前に、もしここで1ドルを払わなかったら今日この子は夕飯を食べることができるのでしょうか?
これは他のボランティア参加者とも意見が分かれたのですが、私は2ドル分のブレスレットを買うことにしました。
この選択が正しいかどうかはわかりません。
しかし、"5個1ドル"という言葉の裏にあの女の子の苦悩が隠れています。
1ドルを100円と考えたら、私たちはどう使うでしょうか?
100円なんてクレーンゲーム1回分。何も取れなくても「まあいいか」と流してしまいます。
そんな1ドルを手に入れるため、教育を受けるべき時間を奪われているのです。
私はあの女の子のこと、また同じ状況下にいる子どもたちを忘れてはならない。
私が見たカンボジアはきっと一欠片に過ぎませんが、それでも一欠片のフィルターを通して団体の活動に独自の視点で貢献する人間になりたいです。
それを目指すことが"5個1ドル"という言葉から与えられた使命だと感じています。
残したい世界
- 子どもが「子ども」でいられる世界
- 成長する機会を与えられる、また開拓できる権利のある世界
果たしたい貢献
- 人の痛みがわかる経験を重ねたい
- 人の痛みを100%理解できなくても、理解する努力は100%続けたい
- それらを無駄にしない行動をとる