どん
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ヒストリー

出身地

兵庫県

幼少期の暮らし、体験

【小学校時代】
この頃から、人前に立って目立つことが好きだった。
休み時間は外に出てよく遊び、授業中は積極的に発言をする活発で明るい学生だった。4年生の頃に興味本位で生徒会書記に立候補するも落選。その悔しさをバネに5年生では生徒会会長に立候補し、2週間の選挙活動の末に生徒会長に当選した。生徒会長と同時に体育祭応援団長やクラス委員長、学年代表も務めた。
学外の活動では、3年生からピアノを習い始め、5年生秋より中学受験のためにピアノを辞め塾に通い始めた。周囲より塾に通い始めた時期が遅かったためなかなか成績が伸びず6年生夏の模試では合格率20%未満の判定だったにもかかわらず、志望校を変えることなく秋以降の追い込みで第一志望校の模試順位2位まで成績を伸ばし、第一志望の中学校に合格することができた。


中学・高校時代

六甲学院高等学校 2019年卒業
【中学時代】
中学時代は中だるみの時期だった。
足の怪我をきっかけに数ヵ月でサッカー部を辞め、仲の良い友人が多い卓球部に転部した。サッカー部とは違って卓球部はかなり緩い雰囲気で練習に打ち込むというよりは、友人と和気あいあいと卓球をする雰囲気だった。3年生で副部長になったものの、変わらず緩い雰囲気の中卓球を続けていた。
この頃は部活よりもオンラインゲームに打ち込んでいた。友人と通話しながら一緒にゲームをする時間が多かった。そのおかげで同級生よりはインターネットに詳しくなっていた。

【高校時代】
徐々に活発な学生に戻っていく時期だった。
1年生の文化祭で、自身が代表として「企業調べ」をテーマとした発表をすることが決まった。メンバー各々で大手電機メーカーさん数社に直接電話で連絡を取り、社員の方と直接会ってお話を伺う機会を頂いた。そして、それをもとに各会社の特徴をまとめ文化祭で発表し、企画賞を受賞した。
2年生では、まずクラス委員長を務めた。結果的に3年生の終わりまでの2年間、委員長を務めることとなった。そして、教員志望だったこともあり、文化祭では来場者向けに化学の模擬授業を行った。また文化祭での歌合戦にも出場し2位となった。
3年生では体育祭の救護部門副代表として体育祭に携わっていた。六甲学院の体育祭はかなり大掛かりで、開催の半年ほど前から準備を進めていた。私が副代表を務めていた救護部門は学年を跨いだ約20人のグループで、できるだけ怪我をしないようなルール作りや、怪我が起きた際の対処について準備を進めた。結果、例年よりもはるかに少なく軽い怪我で体育祭を終えることができた。
また、受験勉強にも熱心に取り組んだ。もともと成績上位ではなかったが、教員を志望する以上できるだけ難しい大学に進学したいと思うようになり、京都大学を第一志望に定めた。2年生の頃から塾に通い始め、1番の苦手科目だった化学が1番の得意科目になるほど素敵な恩師に出会ったことをきっかけに高校化学の教員を目指すことに決めた。そうして京都大学理学部を受験することを決めた。
部活動があまり忙しくなかったこともあり、中学受験の頃とは異なりかなり順調な受験勉強生活だった。3年生初めの模試ではすでに合格圏内に入っており、夏以降は合格率80%以上の判定を出すこともあった。そして京都大学一本に絞って受験し、現役合格することができた。

大学・専門学校時代

京都大学
【大学時代】
入学当初はサークルに入るかどうか迷っていたが、新歓で初めてアカペラを聞き、感動してアカペラサークルに入ることを決めた。そこから大学生活の大部分をアカペラに費やすことになった。
1年生ではアカペラ1年生全国大会を目指した。アカペラを始めてすぐに、ハモリの音程を全く正しく歌えないという壁に直面した。周りの友人が当たり前のようにできることができなかった。そこでSNSで社会人の方にアドバイスをもらい、発声を見直すことで歌うことができるようになった。またグループとしても、他のグループが色んな曲に手を出して歌う中で大会に出す2曲に集中して練習することで130組から10組に選ばれ、全国大会に出場した。
2年生に入り、コロナが流行した。その影響でサークルとしての活動は全くできなくなってしまった。そこで私はコロナを逆手に取ったオンラインでの活動を活発化した。自身のSNSで演奏動画を発信し、さらに全国の同期を対象とした交流会を主催した。
こうしたアカペラ活動の一方で、順調に単位を取り教職の授業もほとんど取り切っていたが、教職の授業を受ける中で、教師という職業に対する憧れが小さくなってしまった。そこで私は将来のことを考える時間を取り、さらに活動に打ち込むために1年間休学することを決めた。
休学中最も力を入れたのはアカペラストリートライブイベントの立ち上げだ。企業協力のもとイベントを開催し、170グループ約900人の出演者が集まるイベントとなった。メディアからの取材もあり、アカペラ界の盛り上がりに貢献した。

職歴

家庭教師①(4年間)
家庭教師②(1年間)
コンビニ(2年間)