宮國真希
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ヒストリー

出身地

茨城県

幼少期の暮らし、体験

三歳までは茨城県水戸市で過ごし、それ以降は千葉県市原市で過ごしています。
人見知りが激しく人の後ろに隠れてばかりでした。それでも誰かの手伝いをするのが好きで、料理や掃除をしていると積極的に話しかけて手伝っていました。
私の周りには絵を描く人が多く、クレヨンや鉛筆で絵を描く機会も多くありました。この頃から絵を描くことが好きで他にも粘土や折り紙などで何かを表現することが好きでした。
両親がアニメや漫画が好きなので小学生にあがった時には好きなアニメに好きなキャラクターがいました。一番夢中だったのは『ケロロ軍曹』。マックのハッピーセットの為にマックに通い詰めたことはいい思い出です。
ゲームも父がやっていて、最初は見るだけでしたがパーティーゲームや対戦ゲームを買って貰い、一緒に遊んだりもしました。外で遊ぶときは友人と公園で、家で遊ぶときは父とゲームをするのがお決まりになっていた気がします。
沢山遊んで過ごしていましたが、しっかりと宿題を提出し、ノートもしっかりとってテストの点数も悪くなかったので学校での評価は高かったです。部活には所属していませんでしたが、イラストクラブと演劇クラブを掛け持ちしていました。演劇部は表現力の向上とコミュニケーションの向上に繋がりました。イラストクラブは月に最低1枚イラストを掲示するという簡単なものでしたが、人に見せるような絵を心がける良いきっかけになったと思っています。

中学・高校時代

千葉県立姉崎高等学校 2021年卒業
中学時代は反抗期真っ盛りで親に迷惑をかけることが多かったです。
学校では小学生の頃と変わらず、ノートをきちんと書き、課題提出をしっかりとしてテストも苦手科目でも平均その他は平均以上と頑張っていたのですが、自分のやりたい事が分からず、探すために入った剣道部で自分のメンタルの弱さを知り、そんな自分が嫌で両親に強く当たっていました。結局剣道を最後まで続けられず途中で引退してしまいましたが、潔く辞めるという選択をしたのは間違いではなかったと思っていて、それまで思い切った選択をしたことがなかった分、成長したのだと今では思います。
この頃は友人とのコミュニケーションの一つとして絵を描いていました。と言っても本当に落書き程度のもので、人に見せる絵ではなかったです。
高校に入って、小・中を共に過ごした友人達の居ない新しい環境は、私の人見知りを再確認させました。クラスメイトと仲が悪いわけではないのですが友人と呼べるほど親しいわけでもなく、友人と休日に遊ぶ機会も数えられる程で殆どを両親と過ごしました。この頃には両親との仲は良く、友人とよりも両親と外に遊びに行く事が増えました。
部活は絵なら続くのではないかと美術部と漫画研究部を兼部していました。美術部での活動を主にしていましたが油絵からポスター制作、文化祭用のアニメーション作りなど様々な経験をして引退まで殆ど休むこともなく、活動しました。勉学もそこそこに学校からの評価は良かったです。
将来を聞かれる機会が増え、フワッとしたものではありますが『イラストに関わる仕事がしたい』と思ったのはこの頃で、今のままではそんなことは出来ないと専門学校に進学したいと両親に話した時は気楽に話したかったからか夕食の時間でした。それから様々な学校に体験入学をしに行き、慎重にやりたいことができる学校を選びました。

大学・専門学校時代

学校法人花沢学園 専門学校 千葉デザイナー学院
無事に進学できてホッとしましたが人見知りは治らず、学校ではたまたま居た幼馴染と過ごすことが増えました。仲が悪いわけではないのでグループ活動なども楽しく行えるので問題はないのですが、一緒に遊ぶような友人は出来ていないの現状。親友に相談をしてみれば「無理に友人を作る必要もない。仲が悪いわけでもないのだし、仕事仲間感覚でいいんじゃないか。」と言ってくれたので今はあまり気にせず過ごしています。
此処で絵に対する知識や実力を伸ばせていて入学して良かったと思うこの頃ですが、果たして本当に絵を仕事に出来るのかと不安になる時もあります。以前に有償依頼を受けた経験がある程度なので実践不足。成長するために貢献しながら確かな経験を積める職場につきたいと思っています。