大学は学校の思い出よりも、入居した学生寮の屋島寮と準硬式野球部の思い出しかありません。
屋島寮は、今ではなくなったバンカラ気質の残っていた寮で、特に上下関係は厳しかった。先輩後輩の付き合い方を初めて知ったところです。文字通り同じ釜の飯を食い、ともに未来を語り合い、ともに泣きともに喜ぶ4年間の寮生活でした。
野球部入部のきっかけは、寮の先輩に野球部の見学を誘われ、下級生は断ることもできずそのまま入部。大学に入れば軽音楽部に入部し、ベースギターを弾きたかったのですが、全く違った学生生活となりました。
四国の大学野球は、硬式ではなく準硬式が盛んでした。野球経験は草野球しかなく身体も野球向けにできていない中で、高校野球経験者に混じって全国大会を目指していたのでとてもきつかった。打てない・守れない・走れないの三拍子そろった内野手でした。
社会人としてはずっとメーカー勤務です。ベンチャー企業や創業360年以上の老舗企業で化粧品を25年、食品を10年経験しました。軸足は営業職に置きながら、新規事業部立ち上げや業務改革を経験しました。
またその業務の中で商品企画開発や経営企画室で、マーケティング・モノづくりの経験も積みました。