林慶栄
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ヒストリー

出身地

東京都杉並区

幼少期の暮らし、体験

生まれは東京都杉並区の荻窪病院。
両家族内での長男、初孫だったため幼少期からかなりの溺愛を受け育つ。
バブル末期ではあったが、それなりに裕福な家庭だった為、基本的に欲しい物は全て買い与えられ、行きたい場所へはどこでも連れて行ってもらい、一人息子のわがままを謳歌していた。
そのせいもあり、幼稚園、保育園においては目立ちたがり屋、いじめっ子、傍若無人で友達にも父兄にもあまり好かれていなかった。
小学校入学後もあまり変わらなかったが、性格難を見兼ねた両親に習い事のオンパレードを喰らい、バスケ、空手、書道、水泳、スキーなどほぼ毎日の様にこれらに通った。校内の友人が少なかったので、校外での軽い浅い友人関係が楽だったのを覚えている。
何をやらせてもある程度までは他の人より先に進む事ができ途中で飽きてしまい、向上心がそこまで無かったので小学校5年の頃にはバスケと空手以外は全て辞めてしまっていた。
この辺りから両親の不仲が目立ち「どうすれば二人が仲良くするのか?どう自分が振る舞えば機嫌を損ねないのか?」等を先に考える様になり、二人が飲み歩く場所にも度々着いていき(飲み屋、新宿のオカマバー等々)基本的によく話す人らは同級生よりも両親の友人が多く、人目を気にしたり気遣ったりと可愛げの無い小学生時代を過ごした。

中学・高校時代

中学入学とほぼ同時に両親が離婚。特段珍しいことでも無かったが、片親の見られ方が悪くなるとの事で家では優等生を演じ学校では荒れてました
ほぼ部活の記憶しかなく部活以外の素行はあまり良く無かった為割愛。
高校時代は、一年発起し素行も正し高校二年時からのクラス選択では進学クラスに進級。
二年時は生徒会長になるも、大学受験のストレスからまたしても堕落。
学校に行かない期間も有り、大学受験も失敗。
親族での大会議となり、​どうせ浪人しても堕落するのが見えているとの事で母のつてで就職。

職歴

医療法人景星会 大塚北口診療所へ入社。
看護助手(ベットメイキングや患者様のご案内、自身へ点滴の練習)
大学や企業の健康診断スタッフを一年程行った後、看護師になるべく会社を退社し
看護大学へ進学する為の勉強を始めるが、その際に行なっていた飲食のバイトが楽しく
なってしまい、そこから飲食の道へどっぷりとハマる。
サントリー系列の居酒屋→三宿のイタリアンレストラン→3ヶ月渡伊→日本に戻り職探しをしながらダーツバーで勤務中にダーツプロ資格取得二年活動→株式会社KIDS holdingsにて6年勤務した後、小川に誘いを頂き現在に至る。