物心ついたころから(保育園のころから)サッカーをしていました。
同じ保育園の幼馴染がサッカーが大好きで、一緒にサッカーをしていました。
小学校に入ってもその幼馴染と朝昼晩とサッカーばかりしていました。
幼馴染は地元のサッカークラブに入って土日も休まずサッカーをしていましたが、自分はサッカークラブには入らずスキーや柔道など他のスポーツの地元クラブに入って常に体を動かす幼少期を過ごしました。
中学校に入り部活を始めることになりますが、自分の中学校のサッカー部は練習が厳しくて有名で親にサッカー部に入る事を反対されてしまいます。
この頃、漫画のスラムダンクが流行っていたのでバスケ部に入部しましたが、バスケ部も岩手県でベスト4に入る強豪校で、結局練習は厳しい環境でした。
中学3年生になり、サッカー部の幼馴染は15歳以下の日本代表まで登りつめて、毎日努力すれば報われることを目の当たりにしました。
この幼馴染がいたので、今の自分の「意識を高く持つこと」が養われたかと思います。
高校に入ってもバスケを続け、盆と正月以外はほぼ休みなく練習をしました。
全国大会には出ることはできませんでしたが、高校3年間意識を高く毎日練習したことにより、自分に自信を持つこともできました。
高校でバスケを終わらせることに未練があったので、大学はより厳しい環境を求めて、日本一の大学に進みました。
25歳まで飲食店で働いていました。都内に50店舗ほど構える会社で、会社のシステムが他と変わっていてアルバイトが自給を上げることから、社員が店長になることまで、全て自分で立候補してプレゼンして、最後に多数決で決めるという会社でした。逆もしかりで、多数決で降格もある会社でした。(社長からの辞令というものはなく、実力主義・民主的に進める会社でした)
スポーツを長くやっていたので、管理職というポジションは店で一番人望があり能力がある人がなるべきというスポーツに似たシステムにすごく感銘を受け、毎日楽しく学びながら仕事をしていました。
この会社で、自分も管理職までいき一般的な管理業務などについては学べたと思います。
この時から、将来的には自分の会社(飲食店ならお店など)を持ちたいという希望が湧き、まずは基本である営業という仕事もやらなくてはと思い始めました。
そして、25歳の時に全くの未経験の状態で不動産営業の世界に飛び込みました。
飛び込み営業、電話営業がメインの会社でしたので、転職当初は戸惑いばかりで転職して失敗したかなと思う毎日でした。この会社は入社してから3ヶ月以内に契約すると新人賞としてボーナスが出るシステムでした。これを目標に毎日人の倍以上営業活動をして、新人賞を取ることができました。
この時も、「意識を高く持つ」という事が役立ったと思います。
それからいくつか会社は変わりましたが、今も不動産営業として頑張っています。