tomomi
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ヒストリー

出身地

山梨県甲府市

幼少期の暮らし、体験

とにかく身体が弱くて、しょっちゅう熱性痙攣を起こしては、病院へ運ばれていたそう。
私の記憶に残るのは、幼稚園の入園式。捨てられるような気がしたのか、理由ははっきり覚えていないのですが、とにかく嫌で嫌で嫌で嫌で息ができないほど大泣きをしたことを鮮明に覚えています。入園式の記念写真には唯一私だけが母に抱かれて写っています。

幼稚園の同級生何人か同じ小学校に進学することになって、オリエンテーションのようなものに参加した日、同級生の洋子ちゃんのお洋服がとても可愛くて、その日にファッションに目覚めました。

中学・高校時代

山梨英和高等学校
中学~高校はミッション・スクール、いわゆるキリスト教系の学校へ進学しました。
毎日、聖書を読み、賛美歌を歌って、(できるだけ)清く正しくティーンエイジャーを満喫しました。
中学生高校生が同じ校舎で学んでいましたので、中学生時代は高校生の大人びた先輩方に憧れて、一生懸命背伸びをしていたことを懐かしく思い出します。
創立記念日は〝花の日〟と呼ばれて、中学高校全校生徒ひとりひとりが花束とお手紙を持って、県内の病院や福祉施設を訪問。当時、毎年この日はお休みする生徒がほとんどいないと聞いていました。とても誇りに思っています。
クリスマスには県内の大きなホールを貸し切って威風堂々たるクリスマス礼拝を開催。
中学~高校を卒業するまでハンドベル部に所属しました。
毎日OGの先生方にルーズソックスやスカート丈を厳しくチェックされながらも、良き友人と、キリスト教の教育、自由な校風に恵まれて、とても多くのことを学びました。

この頃に、清里とのご縁も生まれました。

大学・専門学校時代

山梨英和短期大学
地方あるあるなのか、山梨県特有なのか、はたまた時代なのか、両親から「県外に進学するだなんて心配すぎてNG」「車を買ってあげるから山梨県に残りなさい」という謎の理由で、両親と大喧嘩の末、結局エスカレーターで進学。
約束通りに買ってもらった初めてのマイカーは新古車で、フォードのフェスティバという車種でした。
中学高校時代6年間ほぼ変わらない同級生たちと過ごしてきたので、大学生になって、他校から入学してきた同級生の友人たちの話しにカルチャーショックを受けたりしました。
両親も学校も厳しくて嫌な思いもした中学~高校生でしたが、厳しく育ててもらったことに感謝したりもした頃です。

はじめてのアルバイトが楽しくて、たくさん働きました。
結婚式などで配膳係をするアルバイトです。
アルバイトをしながら、テーブルマナーや各種お作法を学べて一石二鳥と、サークル感覚で週末はアルバイト漬けでした。
素敵な仲間にも恵まれて、今でも公私に渡るお付き合いをしています。


職歴

大学時代のアルバイトのご縁もあって、ウェディングスタイリスト&ウェディングプランナーとしてキャリアをスタートしました。
ミラノやローマまでドレスを買い付けに行ったり、たくさんの新郎新婦、そのご家族と、笑って泣いて、人生の門出の瞬間をご一緒させていただく素晴らしい仕事に携われたと思っています。
その後、縁あって東京に移り、amadanaというベンチャー企業で社長のもと秘書のようななんでも屋のような、10年以上に渡って主に広報として働きました。
憧れの企業さまや、地方自治体、多種多様な業界の方々とお仕事をさせていただき〝編集力〟を学ばせていただきました。
いまの私の血と肉と人脈はこの時代に築いています。

次にご縁をいただいたのは、ランドリーソリューションのベンチャー企業。
Balko Laundry Place や FREDDY LECK WASHSALON TOKYO という、カフェを併設する新しいコインランドリーの業態を展開していて、老若男女が時代にマッチした快適なライフスタイルを叶えるための仕事に就きました。
ありがたいことに、報道、バラエティ、ドラマ、映画、CM、MV、新聞雑誌などたくさんの媒体で各地の店舗をご活用いただき、広報の私はほとんどオフィスには出社できず各地を飛び回っていました。

そんな中、世界中がコロナ禍になりました。
当時、即座に在宅勤務になって、良くも悪くも色々と考える時間ができました。
自分のこと、両親のこと、、などなど。
基本的に楽観的な方だと自己分析していますが、色々な不安も過りました。
緊急事態宣言が解除された2020年GW、帰省して、地元の友人に誘われて食事へ出かけると、そこで20年ぶりに会う友人もいたりして、地元の様子を見聞きし、私のキャリアを山梨で是非活かしたい!と考えて、Uターンしました。

山梨県に戻って、シャトレーゼという菓子メーカーグループに就職しました。
いつの間にか知名度が全国区になって、国内菓子メーカーの売上規模では圧倒的1位に君臨していて驚きますが、幼少期からとても身近にあった菓子メーカーです。
シャトレーゼは、国内外に菓子の店舗と工場があるだけではなく、ホテルやゴルフ場などリゾート事業も展開しています。
菓子事業とリゾート事業、グループ全体をつなぐ仕事のほか、2022年に本格始動したリブランディングプロジェクトを手掛けていました。

大人になってからも、本当にありがたいことに、ずっと清里の皆さんに可愛がっていただき、東京砂漠(←意味不明な方(が多い??)いるはず!お声がけください!w)で一生懸命働いてきたからこそ、清里の秀逸な空気感、琴線に触れる文化、唯一無二のとても豊かで贅沢なものも見えてきて、清里のために働きたいと思うようになりました。

清里から、Pando事業を世界へ!
しあわせの分母を増やす仕事をしたいと思っています。