ヒストリー

出身地

東京都

幼少期の暮らし、体験



お絵かき、レゴブロック、人形遊び
兄弟のいない私は一人遊びがとても得意な子どもでした。
学校の登下校や、母親とのお出かけで電車に乗っているときでさえ、窓の外を眺めては電車と並走している架空の生き物を想像していたことも…。
そしてその想像は、徐々に”絵を描く”という行為に変わっていきます。


小学校での一番の関心ごとは、友達
友達のちょっとした、しかしストレートな言葉に簡単に傷ついてしまう年頃です。
まだ家と学校の世界しかなかった自分にとって、良くも悪くも極力目立たないことに注力していたことを覚えています。
とはいえ、母親譲りの正義感(おせっかい)は時々顔を出し、教室でクラスメートが口喧嘩をしていると声をかけて止めに入ることもしばしば。
喧嘩の内容には関係ないでしょ!っと矛先を向けられた時にも、喧嘩を見ている方も悲しい気持ちになるんだよ、と返して場を収めてしまったり。

ルールを守ること
目立たず自分を守ること

それが幼少期の私でした。

中学・高校時代

東京都立江戸川高等学校 2016年卒業


目立ちたくない自分vs中学校
それまで”目立たない”を軸に生きてきた私にとって、中学生時代はとても試される3年間でした。
主体性・積極性
これらを身に着けてほしいと、担任の先生たちは私に人前に出る機会を何度も用意してくれたのです。もちろん、そんなことをしてこなかった当時の私は、毎回あがり気味、失敗したらどうしよう、恥ずかしいという”ネガティブ思考”が板についていて…。
どうにかこなす中、周りの先生やクラスメートの期待する”私”と、現実である弱い自分との間にギャップを感じることが増えていきました。


人生観を変えたのは
それまでの”考え方”や”ふるまい方”がひっくり返ったのが、個人塾の講師とその友人達との出会いでした。

失敗したらどうしよう → 失敗してから考えよう

ルールに忠実であることや、真面目であること、失敗しないために準備に勤しむことは、どれも必要ですばらしい力だと今でも思います。しかし、それで怯えてばかりでは自分が疲れてしまう。
その時の私に足りなかった、”余裕”を持つことができ、肩の荷を下ろしてくれたのがあの個人塾で、家の他に初めてできた”ありのままの自分”で居ることのできる場所でした。
勉強というより…講師や友人との会話を楽しみに通っていましたね。

”自分”を表現する機会を自ら作っていくようになった高校時代。好きなことをして、認められて、喜んでもらえるという体験から自信をつけていきます。

大学・専門学校時代

東京家政大学短期大学部 2018年卒業
学校法人専門学校 東京デザイナー学院

福祉と芸術
母子家庭だった私は、母の同僚の保育士の方たちとそのご家族にたいへんお世話になって育ってきました。
幼稚園の先生でも、保育園の先生でもなく、子どもたちが暮らす施設の職員になりたい。
その思いで保育士を目指し、保育科へ入学。


実習三昧の2年間でしたが、人をまとめたり、前に出て”自分を表現すること”を存分にしてきました。本当に様々なものに参加してきましたが、中でも一番の”自信”になったものはミュージカルを作成して発表する授業。
もともと演劇が好きで色々な作品を見てきたので、この特殊な授業があるということで東京家政大学を選んだほどです。
限られた日数で40人超えのチームで作り上げていく過程、本番直前にソロで歌うことが決まり、それを機に父親へ連絡。およそ8年ぶりの再会でした。
20歳の年、自分の成長した姿を見せることのできた最高の機会であり、それまで心の片隅にあった”モヤモヤ”に向きあうことができたのです。
授業修了後にも教授のお誘いで玉川大学や幼稚園へ出向いて朗読劇の披露をしました。

身構えすぎず、好きなことに向き合う自分。
幼少期の自分からは想像もつかなかった未来になっていました。


職歴


毎日がびっくり箱
大学卒業後は希望通り、知的障害児入所施設で働いていました。これまで私が暮らしていた世界とのギャップはとても大きく、本当に毎日が驚きにあふれていました。
具体的なお話しをすることはできないのですが、エピソードは山のようにあるのです。


子どもたちの純粋さと生きにくさ、保護者の方々のわが子への”想い”、施設で働く職員の熱意を感じることばかりでした。
月日が過ぎ、子どもたちの心からの笑顔が見られる”やりがい”と
現場職員だけが頑張っているような”やるせなさ”を抱くようになり、
そして3年目の秋に、人生ではじめての大きなケガをしたことで、
将来を再び考えるようになります。

”もっとたくさんの人に発達障害を知ってもらいたい”
”当事者、保護者、現場の支援者の環境を良くしたい”

よくある”研修”では、その分野に関わる職種の人がメインでしょう。
そうでない”方法”で、もっと多くの人たちにも関心を寄せてほしい。
そして何かの行動をおこしてもらいたい。
当事者との直接な関わり・寄付・広報・正しい知識の習得など何でも。
関心のある人が増えれば社会が動く、現場で働く人の環境がよくなれば、毎日の支援に余裕が生まれる。職員の余裕は子どもたちの余裕につながる。そう思うのです。

例えばディズニー映画「ファインディング・ドリー」のように
エンターテイメントに織り交ぜることで
人々に明るく・ポジティブなメッセージを届けること
それが今の私の、長期的な目標です。