朴 翔雅(パク サンア)
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ヒストリー

出身地

韓国

幼少期の暮らし、体験

もっと小さい頃は山や川を元気よく走り回るやんちゃな子だったと言われてますが、自分が覚えてる限りはちょっとドジっ子だけど静かな子でした。
親は昔からずっと共働きで、昼はお絵かき好きな姉と一緒にアニメを見たり絵を描いたりしてました。いつもクロッキー帳を持ち歩いていて、学校の休み時間に友達と手書きのオリジナルゲームをやったり、漫画を描いたりしてました。いわば「〇組の絵上手なあの子」の「あの子」。
勉強好きで、先生を手伝うのも好きだったので、学級委員でもないのに毎日のように職員室に行ってました。
基本的には静かに自分の事に夢中になっていて、 友達がすごく 多い訳ではありませんが、一人一人を大事にしてきたので、「話をよく聞いてくれる、頼りになる人」と言われた時、とても嬉しかったのを覚えています。
絵を描くのも、ゲームやアニメも好きだったけど、あんまり裕福ではなかったので高学年になってからは進路に迷ってました。

中学・高校時代

中学時代はひたすら勉強を頑張って、趣味として絵もずっと描いてました。3年生の時、小説創作部出版 する本の表紙を描かせていただいて恥ずかしながらも嬉しかった覚えがあります。
その頃出会った友達がとても面白い子で、電車の終電まで行って田んぼしかない田舎を旅行したり、夏休みに手紙を交換したり、クリスマスにホームパーティーをしたり、毎日冒険をするように楽しく過ごしました。
2年生まで進路に迷ってましたが、近くに美術系の一般高校があるのを知り、どうしても絵を描く仕事をしたい、という気持ちで入学するようになります。

高校に上がり、入学式でクラス代表として奨学金をもらった事を始め、学級委員になり、先生たちに期待される優等生になりました。
2年生になっては先生の推薦でボランティア部の部長として色んなボランティアやイベントに参加しました。その頃、中学の友達が近所で日本語講師のボランティアをしてきたので、それも個人的に手伝いました。
美術専攻は人数が少なかったのでみんな仲がよく、一緒に自由研究をしたり、放課後一緒に勉強をしたり、とても思い出の深い時期です。
成績も3位圏内をキープして、実技では特にデッサンが上手だったので、第1希望の大学に無事に受かりました。

大学・専門学校時代

梨花女子大学 2021年卒業
東京デザイナー学院
実はサブカルチャー系のイラストを学びたかったのですが、韓国にはそんな分野を学べる学校が少なく、「成績や実力が勿体ない」とのことで映像デザイン学科に入りました。
デザインについて学ぶのは楽しく、色んな授業を聞けるのも嬉しかったのですが、一流大学だったので、実力や家庭環境などで周りとの差が目立つようになってだんだん辛くなりました。
それで大学でしか経験できない事を大切にしようと思い、面白そうな授業を聞いたり、学校のイベントに参加したりしました。何気なく参加したイベントはとても楽しく、いい人達もたくさん会えたので、今は本当に運が良かったな、と思います。

留学している今は絵を描くのは楽しい、もっとうまくなりたい、と言うのはもちろんですが、 「とにかくやってみよう!」という気持ちが一番大きいです。やっと自分の夢に向き合って手に入れた貴重なチャンスを無駄にしたくないし、何をしてもそこから学べる何かがあると思っています。

いつかは誰かに夢を伝えるのを目標として、これからも頑張っていきます。

職歴

大学卒業後2年間、放送関係の大手企業で契約社員として働きました。撮影チームに機材を貸したり、放送されたビデオをデータベースにアーカイブする仕事だったのですが、毎朝アーカイブが終わったらほとんど仕事がなく、時間に余裕のある仕事だったので、他の勉強をしても大丈夫と言われました。
基本的に仕事に集中し、アーカイブやエクセルファイルを確認してから、余った時間には日本語の勉強や絵を描きながら留学の準備をしてました。上司の皆さん年の離れてましたが、進路について相談してくださったり、留学を応援してくださったり、とても優しい方々でした。