小池響
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ヒストリー

出身地

大阪府

幼少期の暮らし、体験

絵本を読むこと、アニメを見ること、絵を描くことが好きな子どもでした。
工作好きの祖父に良く懐き、可愛がられていた記憶があります。ノコギリやトンカチは友達。
5歳頃の時点で「自分は他人より運動ができないけど、ものをつくるのはちょっぴり得意なのかもしれないな」という認識があったように思います。

小学生では読書。特に、怪人二十面相シリーズやロアルド・ダール作品を好んでいました。

中学・高校時代

中学三年間
美術部に所属。勉強はからっきしダメでした。
制作に関しては、校内で選考されたりポスターで賞を受けることもありました。
ですが、色々なものを観て「自分のつくるものなんて大したことないのかもしれない」と気付き始めます。
友人らと漫画の貸し借りをして、相当な冊数を読んでいた時期です。

高校時代
造形分野について学ぶことができる学校に入学。
辛うじて持っていた作り手としての自信が音を立てて崩れます。
「まあ頑張るしかないよな…」と思い、学年1位の成績をとったりもしました。

絵画部で油画を経験したのちデザイン同好会に所属。
他に、文化委員を務めるなど、誰かと共にものづくりをすることの楽しさや、誰かのためにものをつくることの尊さに目覚めます。本当に周りの方々に恵まれました。
「作品をつくることは自分をつくっていくことに繋がるんだな」という、実感を伴った気付きを得られた3年間でした。

また、職業としての先生、その生き方により強い畏敬の念を抱くようになっていました。
先生方の勧めもあり教育大学への進学を志望。この頃の私は中学校の美術の先生になりたかったんです。

大学・専門学校時代

第1志望の大学に入学。多様性について考える授業や、教育総論、心理学など様々な学びに触れて、あとは、でたらめな読書とお笑いライブを観ることが日々の楽しみでした。
高校時代に染み付いた「やるからにはいい成績を収めよう」というスタンスは変わらず、真面目に大学生活を送っていました。

心身共に限界だというのに気が付いたのは、父の状態が悪化してからでした。
平たく言うと、家庭内の不和に私は耐えられなくなったという感じです。コロナウイルスが猛威を振るい始めていた時でもあり、様々な不安が重なっていた時期なのだと思います。心も体もしんどい期間でしたが、とにかく色々なことを考えました。

そういった毎日を繋ぎとめてくれていたのは、創作物でした。
本や漫画や映画、音楽、展覧会で観たもの、日々目にする広告に至るまで、今まで出会ってきた作品に慰められました。そこに込められた意匠に救われました。

私はやっぱりつくる人になりたい、そういう場所で生きていきたいという思いが強まり、大学を退学。専門学校に入学します。

そんなこんなで現在に至ります。