勉強と運動が苦手な引きこもりでした。ただ、パソコンとゲームが大好きで幼少期は興味を持ったもの全てに挑戦し続けていました。プログラミングを少し触り、ゲームを作り、友達に遊んでもらうのが一番の楽しみだったと思います。
父親がパソコンに強く、その影響を受けていた私はとにかく詳しかったです。小学校でのパソコンの授業では「池田くん教えて」という声が飛び交い、"人を助ける喜び"を理解しはじめました。
私のチャレンジ精神はさらに進化を遂げて、音楽や芸術など幅広く挑戦していきました。
中学では苦手だった運動に挑戦すべく軟式テニス部へと入部し、勝負の世界も堪能しました。普段の自分の趣味とは違いなかなか結果が出せず、退部を考えた時期もありました。しかし、仲間たちの励ましなどもあり、最後まで努力を続けました。大きな実績とはなりませんでしたが、そこには"仲間と日々練習に励む"という大切な思い出があったことに気付きました。
高校へと進学し、周りの環境も一新されましたが、多趣味がキッカケで友達も増え続け、多くの出会いがあったお陰で社交性も磨かれ、高校では学級委員長もしていました。
部活は合唱部へと入部し、コンクールなど一つの目標に向かって部員全員で一丸となって努力する大切さを学びました。高校3年生の秋、最後のコンクールでは地域予選、県予選を突破し全国大会へと進出し、銅賞を獲得して私の合唱部生活は幕を閉じました。
勉強は苦手で逃げ続けていましたが、避けては通れないのが"大学受験"でした。高校2年生あたりから、自分が受験をするビジョンが見え始め、前向きに勉強をするようになりましたが、過去の積み重ねが浅すぎて効率よく勉強することができませんでした。
それでも自分なりに努力し続け、大好きなパソコン関係に最も近い英語科目を伸ばし始めました。ひたすら英語を勉強し、実用英語検定2級を獲得するまでになりました。
結果的に第一志望校は落ちてしまいましたが、県外である第二志望校に合格し、多くの友人や家族と別れ一人で広島へと巣立ちました。
広島経済大学へ入学してからは、一人暮らしが始まり自分の力で生きる難しさを実感しました。
大学生活では、自分に合うサークルを探すべく、ダンスサークルやアカペラサークルへと行きわたっていました。しかし、なかなか夢中になれずそんな自分に嫌気がさしやめてしましました。そんな中、自分にとって大きな趣味であった「eスポーツ」と「VR」を周りに広めたいと思い、大学内にサークルを創設することにしました。
始めは5人程度の小規模サークルでしたが、しまいには30人規模ととても大きな組織へと成長し、皆新しいことに挑戦しながら楽しく活動しています。