あかねP
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ヒストリー

出身地

奈良県

幼少期の暮らし、体験

毎日外で遊んでる日々。小学4年生までは兄が受験だったため邪魔にならないよう遊ぶ友達がいなくても一人で遊んでた。交通手段は自転車しかなかったため、4キロ圏内までは地元の人しか通らない近道を知っている。4年生にバトントワリングを本格的に習うためスクールを移った。そこでは大会で踊る曲のセンターに選ばれた。週4くらいで練習に行っており、将来の夢はバトンでプロになることだった。しかしセンターに選ばれた事が原因でいじめが始まった。

中学・高校時代

バトンのいじめがきっかけで大会でも成績は伸び悩み、辞めることを決意。中学はソフトテニス部の活動に力を入れた。キャプテンを努め近畿大会にも出場した。また生徒会の副会長も努めとても充実していた。中学までは年に数回程度しか電車に乗ったことがなかった。基本的に遊びは地元であったため、自転車を乗り回していた。ママチャリで1時間かけて遊びに行くことも。自転車大好きで雪が降っていようと雨が降っていようと自転車ででかけていた。

高校でも家から自転車で通える高校だったため自転車を乗り回していた。高校で遊ぶ時も大体自転車で行けるところか、ユニバだった。ユニバは年10回以上行っていたが、2回に1回は乗り換えを間違えていた。高校は電車で通う人が多かったので、二人乗りをすることが多かった。なので二人乗りの運転技術は抜群。高校の授業で奈良県の魅力を海外の人に英語で伝えるプレゼンをする授業をきっかけに奈良の良さを知り、もっと全国に広めたいと思うようになった。そして文部科学省主催のトビタテ留学ジャパンに興味を持ち、参加。オーストラリアに留学して観光学を学んだ。

大学・専門学校時代

大学で初めて電車通学を経験。1時間半かけて大学に通うのはとてもしんどい。大学に入って自己紹介をする機会はn回あるが、奈良出身と言うたびに「大仏と鹿のとこね。修学旅行で行ったわ」と言われた。ほとんどの人が修学旅行以来奈良県に来ていない事実を知った。世界に広める前にまず日本人に奈良の良さを知ってもらわないといけないと思った。その為に自分が観光大使になるのが一番だと思った。