東京で生まれてすぐ父の転勤に伴い大阪に引っ越しました。子どもの頃は言葉を覚えたり馴染むのが早く今となっては忘れてしまった関西弁を喋っていたそうです。
2人の兄と社宅に住む同世代の子どもたちと夕方まで毎日遊ぶ元気でわんぱくな子ども時代を過ごしました。
東京に戻り小学校からはキリスト教の学校に入りました。いつも前向きに考えることや、素直でいること、そして他者のために働くことについてなどこの時に育んでもらったと思っています。
小学校時代は友達も沢山できおちゃらけキャラでヘラヘラしていて常に笑いに包まれる生活でした。笑
そんなこともあり、6年生の時にはクラスの面白い人ランキング、弟にしたい人ランキングで1位に輝きました。笑笑笑
過去の栄光…笑
夏休みの期間に毎年水泳教室、体操教室や野外活動に参加するなど活発に過ごしてきました。その活動で、国際交流の機会があり中国のお菓子をもらったことを幼心にとても印象的だったことを今でも覚えています。
また、沢山ミュージカルを観に行っていたことと聖歌隊に入り朝と放課後練習に励んでいたことで歌を歌ったり聞いたりするのが今でも好きです。
中学・高校では兄と親友の影響でテニス部に入部しました。
部活動ではテニスの技術面だけでなく、効率良く行動することや反省を次につなげる姿勢を学びました。
仲間と勝利に喜ぶことも、うまくいかず悔しい思いをすることも経験し、今から思うと青春が詰まった生活だったなと思います。同期や先輩、後輩などかけがえのない仲間ができました。
また、おちゃらけキャラから一変班長、文化祭責任者、体育委員やシンガポールの姉妹校への派遣生を務めるなど責任感も身につけました。
大学では人の心の動きや人間関係など人間の本質に迫る哲学的なことに興味を持ち、人間科学専攻に入りました。
人間科学専攻では、これから生きていくうえで大切な姿勢を学びました。広い視野や固定観念にとらわれないこの専攻で学ぶことができ本当に良かったです。
専攻以外では第2外国語で中国語を学びました。中国語の音声と中華イケメン・美女にはまり、2外の領域を超え自分で映画やドラマを見て中国語を勉強するまでになりました。
課外活動では留学生のサポートをする活動をしました。その活動で、中国人留学生と仲良くなり初めて学んだ中国語で話し心が通じ合った感じがして嬉しかったです。
この留学生の人たちとは今でも連絡を取り合う仲になり、私が本来サポートする役でしたが様々なことを教えてもらいました。
また、大学3年生の時に他大学の日中交流学生団体に参加しました。この団体では、夏休みに日本人学生・中国人学生が集まり約2週間をかけ日本と北京を訪れディスカッションや文化体験などを通して交流をしました。この交流に感銘を受けたことが今の日中交流サークルでの活動にも生かされています。
その団体に参加した直後一緒にこの後サークルを立ち上げることとなるスタッフたちと奇跡的に出会うことになります。
日中交流コミュニティが大学にあったら良いなぁと漠然と思っていましたが、、、
この奇跡的な出会いにより実現するに至りしました。
日中交流学生団体に参加したことがありノウハウがあるということで桃花会で代表をやらせていただきました。代表としてこれからも桃花会に入ってくれた人たちがこのサークルに入ってよかった、楽しいと思えるように尽力して参ります。