ナオミ
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ヒストリー

出身地

東京

幼少期の暮らし、体験

元気な女の子爆誕💥

幼少期はやんちゃで好奇心旺盛な子でした。
小学校に入りピアノをやり始めたり、英語を習っていたりしました。
その時から自分の世界に入り込みやすく電車の駅内で踊り出したのはいい思い出です。

中学年になると学校終わりに毎回鬼ごっこをしていて、いつのまにか運動会のリレー選手になっていたりしていて継続ってすごいなと実感しました。

高学年になると絵を描くのにハマり、3DSの「うごくメモ帳」のイラストを模写したり、漫画の模写したりしていました。そのノートが家に残っていてたまに見るととても楽しいです。

小学生時代は”気づく”ことが多い時期でした。
自分の描く絵が人間の構造とあっていなかったり、
嫌いな人も人間なんだと気づきました。
​このおかげで絵は成長したし、人に優しくできるようになり、自分を過信せず客観的に見つめることができるようになりました。

中学・高校時代

都立永山高校 2022年卒業
小学生がやんちゃだったので中学生では優しさガン振りで行こうと思い、手伝いとか率先してやったり、相手が困っていたら相談に乗っていました。しかしそのせいで自分のメンタルを壊してしまいました。
どの部活に所属しようか迷っている時に「バスケ部の部員が足りない、人数が足りなくて廃部になる」と言われ、誘ってくれた子がバスケを本気でやっている子なのでなくなるのは可哀想だと思い入部しました。当時バスケに興味はなくどちらかというとバレーの方が好きだった私は隣で練習しているバレー部を羨ましく思いながら練習を続けていましたが、右も左も分からないままの練習や、特に少ないわけではない人数を見て騙されたと思いショックとストレスで部活を辞めてしまいました。
ですが、部活を辞めてできた時間で好きな絵を描いたり、歌を聴いたりして、自分の感受性を育てることができました。
この時のストレスが高校入学しての2年間に影響していきます。

高校では授業を真面目に受けない人や急に騒ぎ出す人などがいて中学とは違う生活にびっくりしながらそれなりに楽しんでいました。友達もでき今度は自分がやりたいイラスト部にも入れ充実した生活を送っていました。そこでも人への思いやりは忘れずにいました。ですが悩んでいるこの相談は乗っていましたがその子を心から支える行動ができておらず、学校を辞めてしまった子がいてすごく後悔しました。そのときに思ったのは
聞くだけじゃなくその子が本当にしてほしいことの本質を汲み取ってあげることに気付きました。
​2学期の終わり頃からストレスで精神的な病気になってしまい一番ひどい時期には自分の髪の毛や服すら触られなくなり好きだったイラストも描かずに精神的に不安定な時期が続きました。その時期にちょうどコロナが起こり部屋の中でおとなしく過ごす日々が続きました。そこで少し安定しました。その理由としてはネット友達の存在です。友達と出会ってから自分とか違う価値観だったり新しい界隈に足を踏み入れたり、楽しく、新しいことを知る機会にもなり辛かったですが新しい自分になれることへの楽しみもありました。
そして高校3年生になり新しい友達のおかげで病気も少し和らぎ、高校生活で一番楽しい時期でした。バイトも初め、学業にも専念しクラス順位では毎回上位を取っていました。そしてネット友達、学校の友達のおかげで今の私があると思います。元気でハツラツでなんでも挑戦していける自分になれたことに心から感謝しています。
この時期からコスプレも初めてなんでも挑戦していく時期でした

大学・専門学校時代

高校で悩みに悩み続けて声優の道へ行くことを選びました。小さい頃の刷り込みだったり、自分が人前に立ちたいと言う理由で声優を選びました。何度も自分には向いてないのかなと思うことが多かったりしましたが、演技を人に見てもらったり、オーディションが受かったり、この道に進まなきゃできない体験をたくさんしてきました。高校では自分に向いてないから音響など裏方の仕事に就こうかなと何度も思いました。ですがオープンキャンパスなど行くたびに「なぜ自分はあっち側ではないんだ」と思う自分がいてこっちの道に進んだことを忘れずに、最後はこの道でよかったと言えるように日々精進していきます。