八木 里佳子
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ヒストリー

出身地

静岡県

幼少期の暮らし、体験

私の幼少期は、絵を描いて、将来作りたい服のデザインをイメージしていたり、ピアノを習っていたり、俳句作ったりと、なんとなくartisticな子供だったと認識しています。

兄とも仲良し(?)で、よく室内サッカーや基地ごっこで遊んでいました。そのせいもあってか、兄妹というよりは「兄弟」という関係性が今でも続いているのかもしれません。

また、テレビがものすっごい好きで、特にお笑い芸人が出てるやつ。当時は番組の録画予約が失敗することも多発する機械だったこともあり、録画失敗するとよく泣きわめいて、父を困らせていたと思います。あまりにも理不尽な駄々こねにも関わらず、父は全く悪くないのに「ごめんね、次は絶対しっかりやるね」と声をかけてくれたことは今でも覚えています。ごめんね。一生をかけて恩返しします。

幼少期は本当に癖がなく、反抗期等もない、平凡な子だったと思います。

おわり。


中学・高校時代

中学時代は嵐と勉強、この二択の生活でした。すごく過激派。

中1で初めて嵐のコンサートに行って、見る世界が変わった気がします。

’あ、この人達の考え方好きだ。尊敬できる。私もこういう人間になりたい。’

宗教化した嵐の信者になるのに時間はかかりませんでした。今でももちろん、参考になる考え方や姿勢はたくさんあって、日々学ばせてもらっています。

あと、地元の進学校に憧れて、結構勉強した記憶があります。別に苦じゃなかった。仲良い子達もみんな優秀だったから、地頭がいい人達と高尚な会話するのがめちゃくちゃ好きでした。今でも。

高校受験の合格発表数十分前に、なぜか私は猛烈に不安になって家で泣いていました。だめかもしれない。落ちているのかもしれない。そのとき父は、布団にうずくまっていた私に

「お前は俺の娘だから、大丈夫」

そんなふうに声をかけてくれました。受験には合格していて、嬉しかったけどそれよりも、私は父の言葉がすごく印象的で、私のことを心底信頼してくれていて、父親としての圧倒的な自信のようなものも感じました。当時の父がどんな気持ちで放ったのかはわかりませんが。この人達のために、自慢の子供になってやろう、誇らしい娘になろう、そう思いました。今でも思い出すと涙が出そうです。まだまだなれそうにありません。


高校時代は、吹奏楽部と勉強に打ち込みました。

勉強のモチベは、お父さんとお母さんのため、たぶんそれだけでやっていました。彼らが喜んでくれるならそれでいい。それがいい、と思っていました。また、奇跡的に特進クラスにも入れて、さらなる高尚な友達がたくさんできました。あの抽出された優秀なクラスにもみくちゃにされたのはすごく貴重な経験だったと思います。

で、部活ではとんでもなく気の合う友達4人と、これでもかってくらい遊んでました。映画の予告パロディを一日かけて作ったり、誕生日には絶対盛大にお祝いをする、いわゆる高校生を満喫したような生活でした。


今思えば、高校生までの私って、本当に自分の意思のない人間だったのだと思う。

おわり。


大学・専門学校時代

大学生になった私は、いろんな、本当にいろんな経験や出会いを果たしました。今までの自分に渇を入れたくなるような、そんな出会い。

もちろん、間違いなく、私に最も大きな変化をもたらしたのは「男子ラクロス部 LIZARDS」

ただ、あまりにもたくさんの経験があるから、ここに書くのは少し難しいです、正直。何を書いたらいいかわかりません。

あと、今がちょうど自分にとってさらにもう一段階変化が訪れている時期だと感じているので、少し落ち着いたら、落ち着くのかな、わからないけど、この心のもやもやとかざわつきがおさまったらここに改めて書き留めておきたいです。

つづく