栗田卓也
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ヒストリー

出身地

東京都

幼少期の暮らし、体験

​東京下町で17人家族の大所帯のなか育ちました。頭が良くてエリート校に通うお兄ちゃんにちょっとコンプレックスを抱きつつも、地元公立で元気にのびのび大きくなりました。

中学・高校時代

東京都立八潮高等学校 1984年卒業
中学の頃、夢中になっていたのはブラスバンド部。「最も体育会系な文化部」の名に恥じぬ、朝から晩まで練習漬けの日々の中、それでも着々とオタクの下地を身に着けていきました。
だって中学1年で「劇場版銀河鉄道999」中学3年で「劇場版機動戦士ガンダム」ですもの。
ゴールデンエイジすぎるでしょ。
高校時代は完全にすべての意味で重症化。属していた部活は漫画研究会・映画研究会をはじめとする5つ。うち2つで部長。
いまの奥さんとも高校時代に出会っています。


大学・専門学校時代

早稲田大学 1989年卒業
西に東に走り回り、遊び続けた高校時代。おかげで二流・三流大学も含めすべての受験校で不合格に。
ここで一念発起して本気で受験勉強を始めます。おかげでなんとか早稲田大学に入学。
80年代のバブルの中、早稲田のオタクたちも変に高いテンションと熱気の中にいました。
趣味で留めておけばよかったものの「俺たち漫画家になる!」と声高に叫びだし、酒を浴びるように飲み、そして漫画漬けの生活に入ります。
ほぼ授業にも出ることがなく描いて描いて、大学四年の時に講談社週刊少年マガジン新人大賞佳作を受賞。デビューも決定しますが、その後なんとか卒業するためレポートも大量に書くはめになりました。

職歴

<マンガ業界時代>
大学卒業と同時にデビューはできたものの、その画力はひどいものでした。
編集さんの勧めもあって、アシスタントに入ることになります。
そのアシスタント先が、終生の師匠とも言える宇野比呂士先生であり、その出世作である「キャプテンキッド」です。
以降「ストーンバスター」「天空の覇者Z」等々、宇野先生の多くの作品に関わらせていただきながら、本当のプロを目指すための下地を作っていきました。
長い下積み期間となりましたが、この間原作者としての仕事や、広告イラストの仕事も行い仕事の幅を広げていきました。

自分自身の連載を取ったのは、月刊少年マガジンGREATでの競馬漫画「FURLONG!」(講談社刊・全5巻)です。その前年の「武神たちの序(はしがき)」が高評価を得、やっと連載作家の仲間入りをした次第です。
結局絵はあまり上達しなかったので、あまり学生さんには見てほしくないですが、まだマンガバブルのあの時代、100人に一人と言われた連載を獲得したしぶとさを評価していただければ嬉しいです。

<専門学校講師時代>
「FURLONG!」 の連載をしながら、結婚もしました。
漫画家も楽しい仕事ですが、次のステージに進む時期が来たのかもしれません。
2007年にご縁があって代々木アニメーション学院秋葉原校に漫画の講師として着任します。
この頃の代々木アニメーション学院はまだ民事再生の時期で、非常に苦しい経営の中、生まれ変わりを測っていた頃です。
メジャー誌での連載経験などの実績を買われたこと。初年度の学生が頑張ってくれたおかげで高いデビュー実績を出していたことから、入社2年目からマンガコース長、4年目から出版学部長と、東京校副校長の兼任と、さまざまな仕事を任せていただくようになりました。
いままで考えたことのない、組織で働くことの大変さ。苦しさ。
その結果得られる大きな喜び。
この職場で学んだことは今も自分の支えになっています。
またアナログからデジタルへ技術の軸が移っていたこの時期に、クリップスタジオ学習のカリキュラムと教材の作成の陣頭指揮にあたらせてもらったこと。
漫画のストーリーにおいても古典的な起承転結から、より現代的な三幕構成に切り替える
きっかけを作らせていただいたことも思い出深いです。