康富悠嗣
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ヒストリー

出身地

大阪

幼少期の暮らし、体験

​​​​​​​​○どのような?
前向きで、好きな事にはひたすらに取り組む少年でした。

想像し手を動かすことが好きで、布を縫い小物を作ったり、工作の授業が特に大好きで、漫画をたくさん読み、紙に模写をしたり、身近に起きたことを新聞風に絵をかいたりもしていました。

○スポーツは?
幼稚園〜小学校6年の8年間、剣道をしていました。剣道では、礼儀や集中力を鍛えることができ、過酷な状況でも諦めないことを学びました。

中学・高校時代

大阪市立都島工業高等学校 2017年卒業
〜 中学時代 〜
○どのような?
中学校では、体操部に入りました。とにかく部活に取り組み、副キャプテンを務め、キャプテンを支える縁の下の力もちとして陰ながら支えていました。


〜 高校時代 〜
○どのような?
高校は、工業高校に行きました。
家庭的な事情で、進学はせず、安定した職に就くことを目標としていました。

○好きだったこと
服や家具を見るのが好きでした。
着たり、置くだけで、変わる個性や空気感に魅力を感じていました。

○好きな科目
​製図の授業が好きで、長さを考えて線を組み合わせ形になって行くのが堪らなく好きでした。

また、実習の授業も好きで、モルタルやコンパネ等の材料でカヌーを作ったりと、今まで1人で手が届く範囲のものを作っていましたが、チームで強度などを計算し作っていく大切さを学ぶことが出来ました。





大学・専門学校時代

大阪デザイナー専門学校

職歴

○どのような職についた?
高校卒業後は、大阪市役所に4年間勤めました。
仕事内容としては、道路工事や堤防耐震工事の監督として携わり、業者の方と一緒に作り上げていました。

○大事にしたいこと
ある日、仕事で失敗し困っていた時に、当時の先輩が寄り添って、一緒に問題解決に向けて考えてくださったことがあります。

成長した時に悩んでいる人を助けれること、相手の思いを汲み取ることを教えて頂き、『悩みを抱えている人を助けれる様になりたい』と自分の主軸となるきっかけになりました。

○決断
仕事に対しては、やりがいを感じてはいましたが、どこか、引っかかりを感じていました。

自分の本当にしたい事は何かと考え、調べた時に、出てきたのは、広告業のデザインでした。想像したモノを描くのではなく、依頼者の悩みを形にし、読み手には興味をもたせる工夫をする。今まで好きだった事と仕事で得た事が噛み合ったなと思いました。

この思いは年々とますばかりで、50年後くらいにやらなかったことを後悔するくらいなら、やってから後悔をしようと思い決断し、4年目の節目に退職しました。

○これから
学校に通い、最近ではデザインがより、身近になりました。『悩みを抱えている人を助ける』これをブレることなく主軸とし、自分にしか形に出来ないモノを作っていきたいです。