BoardFaerie
フォロー コンタクト

ビジョン

 [例のゲーム]には未来がない。他の全てのフィクションと同じように、その実在性は物語の始まりと共に始まり、物語の終わりと共に終わる。見えない物事は存在せず、不可逆的な行動の選択を迫りその結果を実現させてしまう、押し寄せるような時の流れも存在しない。物語はただそのままに、停止した時の中で存在する。しかし、その物語の周りの現実の時間は絶えず前に、未来へと向かって進み続ける。

 想像の未来を予想するのは現実のそれを予測するよりはるかに難しい。それはフィクションには現実ほどの論理性がないから、ということのほかに、現実の時間と違ってフィクションには止まるという機会が設けられてるからだ。

 ある意味では、[例のゲームの開発者集団]も本質的にはフィクションであると言える。それを構成する物事は非現実的かそうでなくともあり得なさそうで、登場するキャラクターも空想上の人物に思え、さらにその上起こった出来事はまるで作り話のように運命付けられ、強制されたもののように見えるからだ。しかしどうも、そこには違いがある。世界のどこかには私たち、もしくは私たちの作品と繋がった人々が実際に存在するのだ。フィクションは現実によって作られ、そしてまたフィクションは現実を作り出すことができる。

 [例のゲーム]の世界は永遠に動かないが、しかし現実世界には何かがきっと起こる、起きなければならない。それを見届けるのは確実に面白いことで、新しいお話ができ、もしかしたらそのお話がさらに新しいフィクションを作り出すかもしれない。誰も未来を予測することなぞできないのだ。[例のゲーム]のような他のゲームができるかもしれないし、[例のゲーム]を作った人たちによる他のゲームができるかもしれない。

 しかし、「もう一つの[例のゲーム]」は永遠に存在し得ない。でもそれでいい。なぜならもうオリジナルはすでに存在していて、私はその方が好きだからだ。

 ー例のゲームの開発者の一人より, BoardFaerie和訳

BoardFaerieさんのビジョンに共感