千葉美侑
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ヒストリー

出身地

宮城県

幼少期の暮らし、体験

とにかく受け身で過ごしてきました。
幼稚園では理事長と園長にべったり、友人と遊ぶときも独占欲強め。
7個上の兄がいたからなのか、生来の性格なのか、兎にも角にもそう過ごしてきました。

年中になると、同じ集合住宅に住む友人に影響され、チアダンスとピアノを始めます。
チアダンスは小三、ピアノは小六まで続けましたが、惰性が仇となり、身についたことはダンスの方法とリズム感と処世術だけでした。

小学校に入ると、なにかと怯えるようになった気がします。
友人間を取り持つ毎日でした。
親も兄も忙しいため、習い事をして勉強をして家で一人で過ごす毎日でした。

小学校1年生、東日本大震災を経験。電柱が真っ二つになる状態を見て世界に絶望したことをまざまざと思い出すことができます。

小学校3年生、女子と括られるのが大の苦手になります。今のアイデンティティ形成のきっかけでした。
小学校5年生、夏風邪をひいて合宿を欠席し、youtubeを見始めた結果、アニメファンになります。趣味の形成の第一歩です。
小学校6年生、小学校を渦巻く友人関係をこれ以上維持したくないと夏に受験を決意。
結果、なぜか首席で受かってしまいます。困った。

中学・高校時代

古川学園高等学校 2022年卒業
中学校に入学、入学式で新入生代表挨拶で「建築家になりたい」と体育館で言います。この夢が叶うことはありません。数弱だったからです。
しかし代表という状態により、同級生に目をつけられます。
「やらなければ存在価値がない」、そんなプレッシャーで生きていくことになります。
この年、私は大好きな先輩に出逢います。
一人で場を回す、一瞬で空気を変える人。
この人になりたい、そう思いました。この思いは数年後無残に崩れ落ちることになります。

中学校2年生、プレッシャーに打ち勝とうと数々の役職を兼任。常に忙しい状態を作り上げます。そんな一年を過ごした結果、毎日うつ状態に。常に綱渡りしている日々でした。
極度の卑下体質はここで花開いたと言っていいでしょう(極度と言いますが、自覚はありません)。
にもかかわらず反省をしない私は、中学校三年生でも生徒会や各行事実行委員を歴任。実は母校に新たな組織を作り上げていました(発端私じゃないけど)。

なんやかんや無事に生き延び、高校に進学。三年間学級副委員長を務めます。
ぼんやりと「勉強したい」「一番がいい」「褒められたい」「認められたい」という欲望とプライドのみで受験開始を決めます。今思うとなんだこの理由。
結局人間関係形成能力は生来変わらぬまま、すなわちいわゆるコミュ障のまま、6年間を終えることになります。
ヲタク趣味は変わらず、自分で何かを成し遂げることもなく、友人間の仲を取り持つ日々。憧れの人にはなれぬまま。母校は部活制度がない上恋愛も禁止であり、常に勉強していました。私は楽しかったよ。

大学・専門学校時代

東北大学
高校の経験から、「勉強がもっと楽しければいいのに」と思い、教育系統への進学を決意。
無事、東北大学に合格しました。

4.5月、「友達欲しい」という渇望の最中Twitterを漁っていたところ、面白い動画が回ってきました。それがPompadourです。
憧れの人には届かないけど、それでも自分を確立したい。
私一人はマイノリティの詰め合わせだけど、誰かの中でインパクトになる?
欲望とプライドはまだ邪魔をします。それでも、何かしたい。
門を叩きました、今、とっても元気で生きてます。