小金丸 愛友
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ヒストリー

出身地

福岡県北九州市

幼少期の暮らし、体験

幼少期
双子の弟の姉として生まれました。いわゆる双子(二卵性)というものです。4つ上の姉、私、弟、両親の5人家族です。双子とはいえ、一応私は中間子です。
出産予定日は6月だったらしいのですが、双子で母体が耐えられず予定日の3か月前に生まれました。早産だったため、生まれた瞬間に私と弟はNICUに連れていかれたそうです。学年もなかなか決まらなかったらしく、本来の6月に生まれていれば一つ下の学年になるのですが、生まれたのが3月下旬なので「下の学年になることも不可能ではない」と言われたらしいのですが、いじめや成長速度等を考慮した両親は2002年4月~2003年3月に生まれた子達と同じ学年で過ごすことになりました。もしこの時下の学年として過ごすことになっていたら、今まで出会った人たちとは出逢えていなかったので本当に奇跡なんだなと思います。


小学生時代
小学三年生から書道教室に通い始めました。母親曰く「字も絵も上手いから絶対に習わせたい」と思っていたらしく、「姉より上手い」と作品を持って帰る度に褒められて、すごく嬉しかった記憶があります。詳しくは覚えていないのですが、小学6年生の時に書道が上手い人たちが課題を書いて提出するものがあり、確か私は優秀賞だったと思います。同級生にすごく書道が上手い子が居て、その子には追いつけないんだろうなと思っていました。

中学・高校時代

私立真颯館高等学校 2021年卒業
中学生時代
特にないです。本当に何もないです。打ち込んだものもないですし、好きなものも分からないままでした。楽しまなきゃいけない時期に楽しむことが出来なかったのは個人的に勿体ないなと思うのですが、その出来事がなければプラス思考を持つことはできなかったと思うので、あれはあれでいい経験になったのではないかなと思います。

SEKAI NO OWARIのファンになったのは中一の時で、スマホを持ち始めた高一から(偏りはありますが)色んな音楽聴いてます。

(関係ないですが、修学旅行に行く度に前回の修学旅行の記憶が全くと言っていいほど消えるんですが、誰か同じ症状を持ってる方は居ないでしょうか。もし似た境遇の方がいれば、是非ともあの現象に名前を付けてもらいたいです)


高校生時代
絵を描くことが好きだから、という理由で美術科がある高校に通いました。
人数も13人と少なく3年間同じクラスだったので、クラスの中は比較的良かったです。授業内容としては暴力団追放ポスター、人権ポスター、ステンドグラス、陶芸をそれぞれに制作して、三年生時に卒業生制作展で作品を展示しました。

福岡デザイン&テクノロジー専門学校に入学を決めたのは、学校の説明会に来てくれたのがきっかけです。当時やりたいこともなく、でも就職の道はまだ見えないということで悩んでいたのですが、小説を学べると聞いて文字で思いを伝えることが得意だった私はそれだけの理由で入学を決めました。当時、SEKAI NO OWARIのSaoriさんが『ふたご』を発売したのもきっかけの一つだと思います。

大学・専門学校時代

福岡デザイン&テクノロジー専門学校
一年生
入学して初めて書いた『君の足跡が消える前に』が校内審査initiationの五位に選ばれ驚いたことを覚えてます。あの作品は締め切り間近に一気に書き上げたので、そんな作品が選ばれるなんて、と内心何か月も前から執筆していた同級生に申し訳なくなりました。
また、企業課題だった『私の愛した花の名は』というキャラクター制作で選出されました。

二年生
雑談の中で生まれた「写真から小説にする」というものを企画させてもらいました。学校生活の中で自分から率先して動くことが無かったので不安でしたが、快く協力してくれて嬉しかったです。それと個人的にこの学年の三年生、二年生、一年生みんなが仲がいいなという印象でした。いつかこのメンバーでどこか出掛けるのが密かな夢だったりします。
作品ではinitiationで『青色の夏』が八位に選ばれ、授業で取り組んだ宣伝会議のキャッチコピーで一次審査を通過しました。通過する確率は東大に受かるより難しいらしく、あまり広告には興味なかったのですが、楽しいと思えたのでまたやってみようかなと思います。

三年生
一月下旬更新予定


〈その他・資格〉
・日本漢字能力検定 三級
・日本習字 高等師範 雅号   取得

職歴