私は小学校1年から中学3年生まで総合格闘技をやっていました。中国に行く前(5年生)までは特に夢がありませんでした。私は昔から歴史が本当に好きで小学校の図書館にあった世界の歴史のマンガ、日本の歴史のマンガ、それに人物伝のマンガを全て読みました。これらの本を読み切って様々な知識をつけた事は後々自分の強みになりました。
ちなみに、小学校6年生の時に中国に行くことを決断した理由に関しては、歴史好きの影響もあってか海外に対しての好奇心が強く、日本以外での生活をしてみたいと考えたからです。
私が小学校6年生〜中学1年の時に中国に行ったことは、自分の人生を変えるような大きな出来事でした。私は中国の現地の学校に行き、中国の生徒と関わっていました。日本と文化も考え方も違う中で現地の学校に行くという選択は貴重なものでした。そのような環境で学校生活を充実させたいと考えていました。また、中国の農村地帯にも行き日本との生活、インフラの差を感じました。私が行った村は電気はかろうじて通っていましたが、ガスや上下水道は通っていませんでした。ある村の人が貧困のために「自分の子供を学校に行かせることができない」とか、「学校に行けないと良い職業にはつけないので、自分の子どもにも将来自分と同じ生活をさせるのが申し訳ない」と話していました。私は今でもその2つの言葉を忘れられません。この話を聞いた時はかなりショックを受けました。現在の自分の夢ができたきっかけはこの話を聞いたことです。
2年間中国にいましたので、今まで遅れてしまった分の勉強に追いつくのがとても大変でした。中学の部活はバレー部に入りました。バレー部の先生は厳しかったですが、とてもいい先生で、自分を人間的に大きく成長させてくれた先生です。今でも親交があり、数ヶ月に一度に会っています。また中学校3年生の時には学校の代表として高円宮杯英語弁論大会に出場させて頂き市内で優勝、長野県内で5位になることができました。市内で優勝した時は、新聞社からインタビューを受け社説に載せてもらいました。
高校では、卓球班と英語班に所属し3年間努力しました。特に自分が努力した事は英語合宿やイングリッシュキャンプ等英語を使う活動への積極的な参加です。自分がやりたい事が英語を必須としているので早いうちから少しでも英会話に慣れておきたいと思い参加しました。そのおかげで、英会話が全くできない状態からある程度まで話せるくらいに上達しました。
私は一年間浪人しました。浪人して予備校でも今まで出会った事ない人とたくさん話して、色々な事を学びました。大学ではさらに色々な人と出会えると思い、それを楽しみとして一年間勉強しました。
私は大学でフランス文学を専攻していますが、この学科を選択した理由は中国語の次にフランス語を習得しようと思ったからです。フランス語ができれば北アフリカや中東の人とも会話が出来て、さらに色々な国に行けるようになり、就職する時に選択肢が広がると考えたからです。また、フランスという国は哲学や文学の分野で常に西欧世界をリードしてきました。そのフランス文学を学ぶことで、人間の喜怒哀楽、世の中に対する深い洞察、自らを深く見つめる思想や哲学などに触れ、そして、これからの変化に富んだ時代を生きていく上で求められる本質的でバランスの取れた判断力や思考力を身につけたいと考えたからです。
しかし、私は文学部のためビジネスや経済に関してはあまり学びません。私が将来やりたい事はビジネスの知識が必須なので経済や投資を学ぶサークルにも入りました。また、世界情勢やSDGsに関する事についてもディスカッションやディベートをしたいと思い、それらの事について話すサークルにも入っています。ワンライフに入ったのも自分の将来の夢を叶えるために様々なことを学びたいと思ったからです。
また運動もやりたくて卓球サークルとバレーサークルにも入りました。しかし今はコロナで全く活動が出来ない状況です。
ちなみに、この写真は長野市で撮った桜の写真です。
アルバイトで東進の担任助手をやっています。