小林ななみ
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ヒストリー

出身地

大分県

幼少期の暮らし、体験

未就学児
この頃はまだ人と遊ぶことが苦手で、よくおままごとのお誘いに来た友人から逃げ回っていた。かくれんぼは負け無しだった。
小学校低学年
小さな頃から喘息持ちだった影響か、
ブランコや砂場遊びは好きでしたが圧倒的インドアだった為、外遊びよりも室内遊びの方が好きだった。
しかし写真を見返すと何故か肌が黒かった。
不純な動機で小学校の野球部に入ったのはこの頃。
小学校高学年
演技が好きで、小学五年生の冬、よく懐いていた1つ上の女の子に誘われてミュージカルもやっている合唱団に入団。本人無自覚のかなり激しい音痴。それでも見捨てられることは無く根気強く教えて貰えた。優しい世界。

中学・高校時代

大分県立宇佐高等学校 2021年卒業
宇佐市立宇佐中学校 2018年卒業
中学時代
小学校の時よりも格段に多いクラスメイトに驚いてしまい、最初のころは怖くて一人家で泣いていた記憶。次第に学校生活にも慣れ、共通点を見つけて休日に遊びに行ったり、旅行をする友人ができた。
元気のいい挨拶ができる人、というこどもらしい賞状をもらってにやにやしていた。
「好き」を知りたい、まだ青い無知な少女だった。

所属したバレーボール部にはかわいい女の子の皮をかぶったゴリラしか居なかった。
高校時代
中学時代にはなく、ずっと憧れていた購買とパックジュースの自販機の魅力に負け、MAX体重だった華の高校生時代。人間関係がうまくいかなかった。
人に依存してしまって、勝手にその人の理想像を作り上げ、勝手に「裏切られた!」と泣きわめくような馬鹿な女。

高校生あたりから、ソロで歌う場面を沢山貰えるようになる。
​セリフを言うのはとても好きだったが、1人で歌うのは苦手だったのでいつも練習に付き合ってもらっていた。
最高学年としての重圧に泣く日もあった。友人たちの声援でコロナにより練習時間を削られながらも、最後の定期演奏会を終わらせた。
約六年間、毎週二回の練習。
とてもいい経験ができたと思っている。ありがとう。
同じバドミントン部の友人と顔を合わせたくなかったが、別の友人に首根っこをつかまれ、いやいや言いながら部活まで引っ張られ、引退まで所属。あの時、見捨てないでくれてありがとう。




大学・専門学校時代

専門学校九州デザイナー学院
最近になってようやく自分というものが分かってきた気がする。私はどこまで行っても馬鹿だし、依存してしまうタチの悪い女らしい。
​"自分の機嫌は自分で取れるようになりたい"とかれこれ3年間は言っている気がする。因みに言うとまだ出来ていない。

​部活も辞め、約6年続けた合唱団も卒団し、友人たちとも離れた私には何も残らなかった。けれど、幸いなことに多趣味だったため、ゲームやバイト、居酒屋開拓、食べ歩きや初めての場所の探索、など、忙しくも楽しい日々が続いている。

今が充実しているのは君がそばに居てくれているおかげです。ありがとう。