廣瀬 裕哉
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ヒストリー

出身地

佐賀県 佐賀市

幼少期の暮らし、体験

 1998年7月1日 佐賀県佐賀市に生まれた。父・母・兄の4人家族で父の影響で幼少期から野球が好きになる。

 小学校は佐賀市立日新小学校に入学し、ウォーターフレンズ鍋島校での水泳を経験したのち、小学三年で日新少年野球部に入部する。周りの少年野球チームは厳しく監督・コーチが指導している中、選手の自主性を重んじた教えを受けた。監督に指示されてプレーするのではなく、選手自身で考えてプレーをすることの大切さを学んだ。万年弱小チームで1,2回戦突破が目標のチームだったが、最高学年次のマクドナルド杯では約160チームが出場する中、ベスト8に進出し九州大会に初出場した。

中学・高校時代

 中学時代は佐賀市立昭栄中学校野球部に所属し、2年秋から内野手としてレギュラーに定着。2年秋の県大会では優勝し最優秀選手賞を獲得、3年春の九州大会では全中準優勝校の西原中(沖縄)を破り、優勝する。また、学校生活では生徒会長を務めた。公私ともに充実した中学時代であったが、いじられキャラが過ぎ友人からひどい扱いを受けて精神的に病んだ時もあった。(キャッチボール前にグローブを隠されたり、スパイクの中にぎっしり砂を入れられたり...)

 高校は佐賀県立佐賀北高校に進学する。1年次は上下関係に苦しみながらも夏は甲子園出場。ベンチには入れなかったが甲子園練習で実際に中に入ることができ、ポケットがパンパンになるほどの甲子園の砂を手に入れた。2年春から外野手としてレギュラー定着。3年次は希望していたショートでレギュラーを掴み出場したが甲子園でプレーすることはできなかった。恩師・百崎先生に指導していただき、野球のスキルのみならず人間力を鍛えていただいた。

大学・専門学校時代

福岡大学スポーツ科学部に入学し、硬式野球部に所属している。最初は大学で野球を続ける意欲はなかったが、野球を続けない限り大学生になれない現状があったため、渋々入部したのが本音である。だが大学野球を通して学生が主体的に行動し運営いていく学生野球の面白さに気づき、現在は野球を続けてよかったと思っている。大学生活では野球以外にもいくつも趣味を見つけることができた。その中でも麻雀とゴルフは野球を蔑ろにしてしまう程、没頭した時期もあった。野球の練習中よくゴルフのスイングをしたり、友人と好きなプロ雀士について語っています。残された大学生活はたった1年ですが野球に趣味に就活に全力投球してまいります。

職歴

我々福岡大学硬式野球部は原則アルバイト禁止なので公には発表できません。