岩長 ゆりか
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ヒストリー

出身地

岐阜県 飛騨高山

幼少期の暮らし、体験

幼い頃は、外で遊ぶ事が大好きだったため学校から帰ってきたら近所の友達を集め公園で毎日遊んでいました。学校でも、休み時間には必ずグラウンドに行き、走り回っていました。自然が豊かな場所に住んでいたので、山や川に行ったり、虫と遊んで楽しんでいました。

陸上、ピアノ、習字を習っていましたが、どれも兄弟の影響で始めたため、心の底から楽しいと思えませんでした。

4人兄弟の末っ子で、祖父母も一緒に暮らしていたため、家族から甘やかされて生きていました。祖父母に愛されすぎて、太っていました。その頃は、家に帰っておやつを食べるのが1番の楽しみでした。幼い頃についた脂肪が今も落ちません。

中学・高校時代

高山市立高山西高校  2020年卒業

中学で部活に所属する時に、スポーツが好き、痩せようという思いがあり運動部に入ろうと考えていました。バレー部、ハンドボール部、バスケットボール部で悩んでいたところ、背が高いから生かそうと思い、軽い気持ちでバスケットボール部に入部しました。この時、軽い気持ちで始めたバスケットボールを大学まで続けるとは思っていませんでした。

幼い頃は、自分のやりたいことを好きなだけし、自由に生きていたので、バスケットボールを始め、今までに経験することのできなかった感情をたくさん味わいました。中学・高校の部活動を通して、心も体も強くなり、人として成長できたと思います。今まで、勉強が嫌いで、勉強をしてもできないと思っていましたが、高校2年生の時、部活終わりに勉強をして帰ることが習慣になりました。それ以降、テストでいい点が取れるようになり頑張ったら結果に残ることが分かりました。勉強の楽しさに気づくことが遅れましたが、高校3年間は勉強も部活も頑張りました。

中学の時に、バスケットボールを選んで良かったと心から思います。家族や中高の友達・仲間、先生など、これまで自分と関わってくれた人、影響を与えてくれた多くの人がいたから今の自分がいると思います。たくさんの人への感謝を忘れず、これからも感謝し続けながら生きていきたいと思います!

大学・専門学校時代

桃山教育学院大学

これまでほとんどの時間バスケットボールをしていたため、高校でバスケットボール部を引退した時、これで辞めたら後悔する、絶対にまたやりたくなる、もっと上手くなりたいという気持ちが強くなり大学でバスケットボールを続けることを決意しました。進路でも悩んでいたところ、顧問の先生の繋がりで桃山教育学院大学を紹介して頂き、大阪に行くことを決めました。

地元から離れ全く知らない場所で一人暮らしをする事や勉強、部活など、不安なことがたくさんありました。1回生の頃は、何回も地元に帰りたいと思うことがありましたが、今は大阪に来たことを心の底から良かったと思います。新しい生活の中で辛いことの方がありましたが、新たな出会いが自分の支えになりました。部活動の先輩・仲間、先生方、友達、バイト先の人たちなど、桃山教育学院大学を選んでいなかったら、出会うことのできなかった人達と出会うことができ、とても感謝しています。

部活動と勉強のどちらかを頑張るのではなく、自分の将来のために努力し続けることを頑張りたいです。私に桃山教育学院大学のバスケットボール部を紹介してくれた大畑先生と自分の好きなことをさせてくれている家族に1番に感謝したいです。大学生活が中途半端で終わらないように、4年間という時間を大切にしたいです。