人類の歴史を眺め渡すと、狩猟採集の時代に始まって、様々な文明の進歩が人を生かし、人類がこれほどまでに繁栄する時代を創って来たことが見て取れます。マッチ棒一本さえ、文明の進歩を物語る文明の利器であり、文明の無い未開の地に一人降り立てば、創り出すことは困難を極めるでしょう。
その進歩は、自らの生存、子孫の生存、そしてただ生きるのではなく、豊かに生きられることを目指した一人一人の知恵と勇気が切り拓いてきたことによって続いてきたと言えるでしょう。そして、このバトンは私達に預けられたわけですが、私達は私達自身の豊かな人生の為に、後世に豊かな社会を残す為に、何を考え、行動していく必要があるでしょうか?
私はこの会社が行う事業を通じて、人が受け取る情報環境を改善し、さらに言えば、人が自らを重要な存在と感じながら心豊かに生きられる環境を創り上げていきたいと考えています。多くの仕事に人が豊かにより良く生きられる為の貢献があります。一人一人が意義ある仕事に取組んでいくことで、私達は次の時代に人類の危機的状況ではなく、より良く生きられる環境を残していけると考えています。
人と人が共栄していく選択と、無益な闘争の中で荒廃していく選択の違いには、一人一人が状況に流されずに心の底から何を望み、何に納得し、何を成すべきと感じるか、その想いに従って一つ一つの選択をしていけるか、その集積によって選択されるものです。
人に意志がなければ、動物達がごく自然に生態系を構築し続けていくように、私達もその生態系の一部として生と死を繰り返していることでしょう。ただ、人には選択する意志が宿っています。その意志によって、自然現象とはとても思えないような環境を生じさせることが出来ます。広く言えば、人の行い全てが自然法則に則って、自然現象とも言えるわけではありますが、人の意志が大きな違いを齎すことは確かなことです。
その意志は、より良く生きたいという渇望から様々な選択肢を私達に提示してきます。どの選択がどのような未来に繋がっているのか、その未来が私達が真に望む未来であるか、そこを見据えた選択を出来ることは一人一人の納得できる人生の歩みへ繋がり、そして人類の明るい未来への希望の光となるものです。
私に出来ることの中で、最も意義ある貢献を成し、自らの人生を納得できるものとする挑戦はまさにこれなのです。
私は自分自身が出来ることの中で最大限の挑戦であると思えているので、それが最大限のやり甲斐をもたらしてくれます。難しいチャレンジです。だから面白くやり甲斐があります。上手くいかないことの連続ですが、一つ一つの目の前の課題に最善を尽くしたと思えるだけの力を出し尽くせば、納得ある日々を過ごすことが出来ます。
妥協に弱い者でありながら、妥協の産物ではないチャレンジを続ける、これが何よりもやり甲斐です。
何年かかろうと、どのような状況となろうと、私の挑戦はここにあるでしょう。大きく社会全体の環境を変えなければ成し遂げられないゴールではありますが、小さな範囲でも意義あることに変わりはありません。どこまで成し遂げられるかは神のみぞ知ることですが、ベストを尽くすだけです。