坂本 和彦
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ヒストリー

出身地

福岡県福岡市

幼少期の暮らし、体験

小学校の3、4年生の時の担任の先生からリズム体操という授業を通して音楽の楽しさを教えていただき、5、6年生の担任の先生から、正式なカリキュラムではないがPC-6000シリーズに触れる機会を与えてくれました。

中学・高校時代

学校の授業自体は要領が良いとは言えず、何事も理屈がわからないと前に進むことができず、学校での成績は良いとは言えませんでしたが、全国模試などの学外での模試ではそこそこ結果を出せていたので応用力はあったように思います。

高校時代は音楽に深く傾倒していたこともあり、自宅では勉強することができないため、放課後に教室に残って勉強し、家では一切教科書を開くことはなかったように思います。 高校2年生の頃には、スタジオミュージシャンの仕事をしたいという気持ちはあったものの、進学校でもあったこともあり、受験勉強はしていたように思います。

職歴

学生の頃からラテン系のクラブでの演奏をして、人脈を広げていき、地元福岡を中心に音楽活動を西日本全域まで広げていきましたが、最終的に音楽だけで食べていくことは難しく、日雇いで港でコンテナの荷下ろしをやってました。手を怪我する危険性もあったので、そのうちホームセンターの商品入替や新店舗の商品搬入の仕事と出会い、出張がメインでもあるため、月の1/3は西日本のどこかに仕事がてら旅をしていました。

この頃、海外に移住したいと思うことがあり、縁あってシアトルに行きましたが、就労ビザの取得が難しく、お金もそこをついたことを言い訳にして帰国。今思えばやりようはあったように思います。帰国後、また日本で音楽活動を再開。

2006年にメジャーデビューを目前とした女性ボーカルとの仕事が私の音楽活動の中で一つの岐路ともなり、2007年にそれまで自身の音楽活動の中で身につけたWebサイト制作、DTPの知識を活かして仕事を探すも、どこも実務経験2年以上などの条件があり、職安に何度も通った記憶があります。運良く前任のWEB担当が退職されるというタイミングもあり、晴れて初就職をすることができました。もともとDTPメインでWEB制作は紙媒体のおまけ的存在であったこともあり、HP制作をして、納品して請求。修正点があればそれに合わせて見積もり提示して修正して終わりで、HPの効果検証というところまでは踏み込んでいませんでした。

また、その頃にCGM(Consumer Generated Media)という言葉を知り、今でこそ広告収入を目的とした情報サイトの存在はあたり前ですが、その当時の私はお金の流れがどうなってるのか想像すらできませんでしたが、2008年にクインテットと出会うことができました。

クインテットでは制作・営業・マーケティングと多部署の経験をさせてもらい、今現在は集客支援を中心に戦略企画部の業務に携わっています。2018年の4月で入社から10年。若い世代も増えており、入社当初は10数名だった社員が今では60名を超えています。私自身もまだまだですが、後進の育成も行なっていかなければならない立場でもあり、消費者やクライアントからだけでなく、社会の期待に応えることができる仕事を行なっていきたいと思います。