ヒストリー

出身地

山形県

幼少期の暮らし、体験

​小学校に入るまで
幼稚園で絵を描いたり体を動かす事が好き。

小学1〜4年生
絵を描くことが無くなり、友達と外で遊んだり近所を冒険したりしていた。途中で、ゲームにハマり色んなゲームがあることを知る。

小学5年生
今までとは違う友達に出会う。その子は絵を描きハキハキとものを話す子だった。うじうじしてる自分とは違うその性格に憧れ、自分も絵を描くようになる。当時、3DSにあったうごメモにてネットの世界を知ることになる。また、たくさんの絵を描く人と出会う。クラスでの人間関係としても変化があり、気遣いや何にでも首を突っ込むのはダメと知る。
これらの事で、私の性格や人に対する接し方が変わる。

中学・高校時代

惺山高等学校(旧山本学園高等学校) 2024年卒業
金井中学校 2021年卒業
中学校
​精神的にも人間関係にも悩むが、友達のおかげで克服。友達の大切さを身に染みて実感することになる。部活は美術部に入りたがったが、都合によりテニス部へ。美術の授業が楽しみなほど熱心に受ける。当時の美術の先生が、一人一人の生徒の絵にアドバイスをしてくれて、授業後の感想欄には先生の考え方や生徒の考え方を上手くまとめて説明してくれる尊敬する先生であった。感想に絵についてのコンセプトや理由をびっしり書くも、何かにつけて理由を聞いてくるため負けず嫌いな私はいつか先生が理由を聞く事がなくなるまでびっしり書き続けた。が、一度も勝てずに敗北。
​だが、絵や物事に細かい所にも理由をつける癖がついた。

中学では、美術部に入れなかったため高校では美術部に入るという意思を持ち、オープンスクールで美術部見学。推薦入試を受け合格。

高校
​美術部で絵を描き、顧問とも仲が良く、新しい友達も出来て楽しい学校生活を送る。全国の高校から選ばれた人だけが出れる台湾のコンクールに出品。様々な人の作品を見れていい経験になった。学校の機関誌の本の表紙も担当し、美術部の部長になる。責任を持ち、70名近くいる部員をまとめる大変さを知った。あじまん(大判焼き)の企業様と個人タクシーをしている方が手を組み、車の外壁のデザインを任される。仲間と共に制作する大変さと助け合いを改めて気づかされる出来事になる。また、テレビ局も来てインタビュー等をされる。大変で、楽しく、仲間もいて、私の中でも誇れるほどの体験だった。