本田 楓
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ヒストリー

出身地

神奈川県

幼少期の暮らし、体験

基本は静かで、恥ずかしがり屋の至って普通な女の子でした。ですが、家族の前では元気よく外を走り回っていたのを覚えています。
​​​​​​​​物心がついた頃から絵を描くことが好きで、よく風景や女の子を描いていました。小学校低学年の頃は自由帳に何十枚も絵を描いて、よく家族に見せていました。この頃は趣味程度だったので、仕事に繋げるという考えはありませんでした。
より絵を描くことに力を入れるようになったのは、小学校高学年になる頃です。
趣味で少女漫画「ちゃお」を読むようになり、可愛いものを描けるようになりたいと絵画教室に通い、絵の基礎となるデッサンを始めました。また、可愛い雑貨を集めたり、ファッション雑誌を読み、絵を描く時の参考にしていました。
絵を描くことに夢中になっていたので、学校の休み時間は外で遊ばずにお友達と一緒に絵を描いていたのを覚えています。
この頃に学校の授業で「仕事」について学ぶ機会があり、イラストレーターや漫画家、デザイナーの仕事があることを知りました。
この時の夢はお花屋さん→ケーキ屋さん→漫画家→イラストレーター→保育士→グラフィックデザイナーと変わっていきました。

中学・高校時代

学校法人明泉学園フェリシア高等学校 2024年卒業
中学時代​​​​​​​
中学では美術部に所属し、部長まで務めさせていただきました。文化祭でイラストを展示するために、部活動の仲間と共に楽しみながら絵を描いていました。
​部活動以外では、3年間評議委員(クラス委員)の書記をし、放送委員の書記もさせていただきました。
この頃は毎日お友達と遊ぶことが楽しく、部活で絵を描くことが生活のモチベーションになっていました。
ただ、毎日勉強をしても成績が落ちていくばかりで悩むことも多かった時期でした。そんな時でも家族やお友達、先生など周りにいてくれた人たちが本当に優しく支えてくださり、今思えば感謝してもしきれません。

高校時代
中学の職業体験で行なった保育士の仕事にやりがいを感じたことをきっかけに、高校は保育の短期大学に優先入学できるところを選びました。
​中学での悔しさをバネに、成績は3年間学年3位(1回のみ4位)をキープし、卒業式では学年の代表で答辞をさせていただきました。
​学校生活では、活動の幅を広げるために書道部とアニメーション部(イラスト部)に所属しました。
書道部は副部長を務めさせていただき、コンクールに作品を出したり、学校の文化祭で披露する書道パフォーマンスに向けた準備や練習に全力で取り組みました。
コンクールは第39回高円宮杯日本武道館書写書道大展覧会の毛筆の部で大会奨励賞をいただくことができました。
アニメーション部は部員で雑談をしながら絵を描く部活なので、先輩・後輩関係なくコミュニカーションをとることを意識して活動をしました。
他にも1・2年生の研修旅行や3年生の修学旅行のしおりの表紙を担当させていただきました。絵を描くだけでなく、文字のデザインを考えるのがとても楽しく、良い経験になりました。
休日はオープンキャンパスの学校案内のお手伝い生徒を2年間させていただきました。
中学生とその保護者様を連れて学校を案内するので、学校生活の雰囲気がより伝わるように丁寧に説明することを心がけました。
​絵を描くことや文字を書くことが好きであること、中学から高校時代の経験から、グラフィックデザイナーを目指したいと思い、東京デザイナー・アカデミーに進学を決めまし
た。

大学・専門学校時代

東京デザイナーアカデミー専門学校
先生や先輩方の雰囲気が暖かく、産学協同の授業に惹かれて東京デザイナー・アカデミーに進学を決めました。
毎日イラストやデザインについて学ぶのは大変ですがとても楽しい日々を過ごしています。
​現在はイラストを軸とするグラフィックデザイナーになるために、イラストデザイン専攻で勉強をしています。
休日はたまにオープンキャンパスやイベントのお手伝いをする学生スタッフをさせていただいています。
今後はイラストを通じてデザインの表現の幅を広げ、今後はアナログとデジタル両方の表現方法を強化していきたいです。