中島 啓太
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ヒストリー

出身地

群馬県

幼少期の暮らし、体験

どんなことにでも好奇心があったので色々な習い事をしていた。最終的に残ったのはサッカー、水泳、塾、そして空手の4つ。

幼い頃からゲーム好きだったので両親に没収されるまでずっとゲームをしていた。時には親に隠れてやったり、ゲームのやり過ぎでゲームソフトを破壊された経験もあり発狂したのを覚えている。

ゲームを触り始めた頃くらいから身近にある電化製品がどうして動いているのかが疑問でならなかった。公文式に通っていたが国語が壊滅的だったのに対し、算数がとても得意だったためその時はどうせ理系に進むんだろうなーなど考えていた。

中学・高校時代

通っていた学校は小中高一貫だったので受験も何もすることなくエスカレーター式で中学校に進学。

サッカー部に入部するも兄に影響されやすかったのか中学2年生の時に小学2年生からやっていたサッカーをやめてバスケ部に転部。でも思うように結果が残せなくて悔しかった。

進路選択の時に内部進学しろと学年主任に勧められるが、通っていた学校にそれほど魅力が感じられなくなったため外部受験をすることを決める。今思えばこの選択は結構重要なものだったと思う。

高校進学後もバスケ部に入部。強豪校ではなかったけれど同じ代に入ったメンバーが個性的で人間関係にも特に問題なくそれなりに楽しかった。

成績によってコース分けされる学校だったので一番上のクラスにランクアップするのを目標に中学よりも勉強に力をいれていた。高校1年の時のクラスでは終始1位をキープし、学年でも常に1桁に入っていたり、英検準1級を取得したりなどした。定期試験は一夜漬けで臨んでいたのであまり得策ではなかったなと今では思う。

高校2年の時に短期留学でアメリカに行き英語でのコミュニケーションと異文化交流の楽しさに気づく。将来海外の大学院に進学するのも悪くないなと思うようになる。

結果的に目標にしていた最上位のクラスにランクアップすることができたが、学校の先生大半が自分とは性に合わず嫌いだったため正直授業に出たくなかった。

受験期は多分人生で1番情緒不安定だった時期だと思う。学校を含め塾の先生にも両親以外で信頼できる人がいないことが辛かった。

受験の結果はとても勝利と言える内容ではなかった。浪人は絶対にしないと決めていたので、今の大学に進学する。

大学・専門学校時代

体育の授業でたまたま同じ授業に出ていた先輩に本団体を紹介してもらう、学生のうちにしかできないことやりたかったので入団を決意する。