元気なパワフルボーイです。
自分からみんなを遊びに誘うことが多かった気がします。
とにかく人気者でありたかったのを覚えています。
好きな特撮ヒーローになりきって遊んだり、カードゲームなんかもとても流行っていました。
いじめる側もいじめられる側もどちらも経験し、子供のもつ特有の怖さのようなものは幼少時代にしっかり体験したと思います。
初恋もこの時代。Aちゃんは元気にしているだろうか!?
反抗期&中二病がパンデミックだった時代です(照)
暴言を吐きまくり、世界は自分の敵だと思っていました(照)
前髪で顔を隠して『自分は何者なのか?』とかスマした顔で考える自己陶酔野郎真っ盛りです(照)
幼少のころから母親の影響で映画はよく観ていましたが、自分から観るようになりどっぷりハマったのもこの時代からです。アニメと出会い、これまたどっぷりハマり完全にオタクになっていました。3次元に純粋なものはない、2次元(のヒロイン)が一番だと本気で信じていました(極照)
とここまで話すと根暗マンサーに思えますが、案外バイタリティはあり、自主制作映画を友達と撮リ始めたのもこの時代です。自分たちは何か出来る力があるはずだし、何より何かやってないと怖いとどこかで思っていたと思います。監督も主演もやっていました(よくばりですね)『映画甲子園』という学生コンペで小さいながらも賞を獲れたことは自信に繋がりましたし、人とものづくりをする楽しさを知りました。
2次元のヒロインが全てと言いながら、こっそりとクラスのガールに恋をしていたのは僕も捨てたもんじゃないです。運動部で天真爛漫なMちゃん。課外授業でキャッツを観た帰りに野球部のハンサメンとMちゃんがおテテ繋いで歩いているのを目撃してしまい、僕はハートブレイクしました。きっとこの時代にクリープハイプが居たらとても聴いていたと思います。
なんだかんだこの時代はいろんな娘にメモリアル片想いでした。
大学時代はターニングポイントであり、物事が多すぎて書ききれませんが、映画を学び、戦友と呼べる人に出逢い、憧れの世界の人にも出逢い、自主制作映画も大いに楽しみ、と毎日がエブリデイだったのを覚えています。とても充実していました。大学の夏季休暇は2ヶ月あるところも多いと思うのですが、僕たちはその休暇期間に課題の映画を撮っていたので、より長い時間戦友たちと過ごした気がします。
演技の授業を受けていた際に、本気で取り組んでいたので、演技の流れでロッカーを壊してしまったことがありました。扉をベッコベコにしてしまい、「絶対に怒られる、、、!!」と思い喫煙所でブルブルしていました。そこに担当の教授が入ってきて煙草に火を点けました。もう僕は謝るなら今しかないと思い叫ぶように大きな声で謝罪しました。すると教授は「何が?」という表情のあとに熱いまなざしで続けたのです。 「植草、おまえが真剣に演技をした結果、ああなったんだろう?なら謝るな。皆の前でもシャンとしてればいい」それだけ言うとものすごい勢いで煙を吸い込み去っていきました。僕は思わずその背中に「あざっした!!」と叫んでしまいました。今思うととても懐かしい記憶です。
恋愛事情はこの時代もメモリアル片想いが多かったように思います。頭の中にクリープハイプもゴーイングステディもスピッツも居たのでたくさん慰められました。彼女たちは今どこで何をしているのでしょう。元気なら嬉しい。
この時代が一番熱い涙を流していたと思います。