黒田 萌衣
フォロー コンタクト

ヒストリー

出身地

兵庫県

幼少期の暮らし、体験

私は3人兄弟の末っ子で、2人の兄がいます。家族でたった1人の女の子ということもありとっても甘やかされて育ちました。幼少期の私は本当に「人見知り」で大人しい子でした。

とにかく家族以外の「人」が苦手で、幼稚園では毎日大泣きしながら登園していました。そんな私を見て焦ったのか、母は半ば無理やり私をテニス教室入れました。テニスは楽しくてすごく大好きだったのですが、やはりそこでも、人見知りを爆発させ他人の目が怖くて毎日行きたくないとグズっていました。

小学校は田舎だったため、生徒数も1学年20人という少人数だったため6年間同じ友達と同じ教室で過ごしました。毎日休み時間には学校を抜け出し、畑で野菜をとって、調理して給食の時間に食べていたのを覚えています。放課後は友達と毎日公園で遊び、帰る時間が遅くなり、よく親に怒られていました。とても良い環境で6年間を過ごし、のびのびと育ちました。

中学・高校時代

中学は部活動でバレーボールをしており、毎日朝早くから夜遅くまで部活漬けの日々を過ごしていました。

とても厳しい部活だったため、月に1度しか休みの日がなく友達と遊ぶこともせずただただ部活動に夢中になっていた中学生でした。

高校進学の際、「保育士になりたい。」と思い総合学科の高校に進学しました。

保育の授業を学んでいるうちに「なにか違う」と感じ、保育士という夢は高校入学後すぐに無くなってしまいました。総合学科で専門的な授業が多かったため周りの友達はみんな「夢」を持っており、周りにおいていかれている劣等感を常に持っていました。

部活動では新たにソフトテニスに挑戦し、「どんなに努力しても上手くいかないことがある」ということを痛感する反面、「新しく挑戦する楽しさ」「努力をしていたら周りの人は認めてくれる」ことを実感し充実した生活を送っていました。


大学・専門学校時代

神戸女子大学

夢がなかった高校時代でどこの大学に進学しようか、と迷ったとき、この時国際ボランティアには全く興味がなく、「他の学部よりまだ楽しそうだなぁ」と本当に軽い気持ちで国際系の学部へと進学することを決め、受験勉強を頑張り入学しました。