山本 真人
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ヒストリー

出身地

神奈川県横浜市

幼少期の暮らし、体験

親が私がすぐ産まれて直ぐに離散。祖父母の家で育てられる。

小学校入学時、けのびすらできない金づちだったため母が心配し水泳教室に入ることになる。

小学4年のとき友人と自転車で接触し、左腕を骨折。全治1ヶ月という初めての大怪我だった。治癒後友人の影響を受け塾へ通い始める。

小学5年のとき再び骨折。全治半年と診断される。これを機に水泳教室を辞めたが、5年間の努力もありメドレーができるまでに成長。

小学6年の冬、受験をするも自分の第1志望に不合格。初めて挫折を経験。








中学・高校時代

明治大学付属中野高等学校 2019年卒業

中学入学。山岳部に入部し、スポーツクライミングと登山を始める。

中学2年生。初めて彼女ができるが、それが原因でいじめられ、やや不登校気味に。

中学3年生。生徒会に入り、仕事にいそしむ。文化祭実行委員も兼任し、当日の警備や庶務を行う。

高校1年生。生徒会で大きな失敗をしてしまい、役職を下ろされる。この失敗は今の自分に大きな影響を与えている。
部活を硬式テニス部にかえるものの、顧問や先輩との意見が合わず、参加しなくなるが、スクールに通い、テニスを真剣に取り組む。

高校2年生。生徒会に復帰するも目立った結果を残せず終わる。文化祭実行委員では警備部門の副部門長をつとめ、文化祭成功に貢献。しかし、生徒会顧問から評価はされず、信頼を失うことの重大さを知る。

高校3年生。受験などは付属だったため推薦に絞って勉強し、良い成績を維持。私生活でも充実していて高校で最盛期であった。

大学・専門学校時代

明治大学

明治大学農学部食料環境政策学科 入学。

大学1年春。春といえば新歓だ。サークルは、テニスやボランティアのサークルに入り、いろんな人とはなし、大学という新しい環境を楽しいと感じた。

大学1年秋。大学の環境になれ、物足りなさにおそわれた。物足りなさというより、このまま社会人になることに対しての焦燥感である。何か形になることを、面白いことを、そう思い学生団体夢人に出会う。そこで大学の違う仲間たちとラオスの子供たちに対してどんな支援ができるのか、考え活動している。

大学2年春。コロナウイルスが流行し、日常が日常でなくなる。そんな中友人が新しい団体を立ち上げた。そこに誘われ今は在籍している。

職歴

和菓子屋3年勤務
塾講師8か月勤務
飲食店10か月勤務(継続中) 2020年5月現在