親の転勤で、保育園の頃から転園も多かった。
小学校も転校が2回。
どんな人にでもこちらから話しかけようと思うのは、こう言った影響かも。
自分の家を"貧しい"と感じていたのをよく記憶している。
流行りのゲーム機とか自分のエンタメ力もなかったので、友達が自分の家に来ても「えーお家狭いね」とか「遊ぶものないね」みたいな感じになってた気がする ということを記憶している。
友達が普通に持ってるGAME BOYとかSP,DSまたはPSPを手に入れるのに必死だった。
数年遅れでDSを手に入れた時の最初のソフトは"NEW SUPER MARIO BROS."
念願のDSを手に入れたときは、体の芯から感動の震えが起こった気がする。
それからのことと言えば、よくおやつにカップ麺を食べていて、今でも大好きだが最近は控えるようにしている。
中学時代は、楽しくもあり最も苦労した時代でした。
部活のメンツが、まぁあえて汚い言葉を使えば クズ でした。どの場所にもこういう男子中学生がいるのは普通だと思いますが、自分は平和主義者だったので。殴られてもやり返さなかったしやり返せなかったので、ナメられるばかりでした。 正直者が馬鹿を見る。真面目に生きてる奴ほど苦労する。 そんな現実をまざまざと感じつづけた訳です。(笑)
そした、彼らといかにうまく付き合っていくか、を考える日々が流れていきました。
ただそんな彼らも、まず友人だったわけで、 一緒に遊んだしたくさん笑い合いました。
たとえ嫌なことをされた、ムカついた、ぶっ潰そうと思った...としても 彼らによって自分は忍耐の訓練をしているんだと自らを諭すようになりました。
ま、そんな感じで彼らと関わるときは苦しかったけど、その重たい想いを押し殺してちゃんと学校に通い続けたし、普段の学校生活は真面目に生きていました。
割と勉強はできる方だったし、むしろ勉強くらいしか自信を持って情熱をかけられる所がなかった気もするし、人並み以上に努力しました。
高校は中学の”普通教育の延長”というイメージが強くて、志望校選びの時に目にする
高等学校昼間/普通科
の”普通”がどうも気に食わなくて......普通よりは専門学科がいいと思って工業の道を考えました。
自分の成績でわざわざ工業高校に行くのはもったいない、という感じだったので
少しレベルの高い学校、工業高等専門学校を受験しました。
この高専で
今までで一番自由な時間を5年過ごしました。
中学の時よりこの5年間の方がたくさん書くことあるはずでしたね笑
まぁ一言で言えば、
卒業して同期とは離れてるけど、 一生の間、また会いたいと思う色あせない思い出が詰まってます。
そしてそして、それなりに勉強も頑張って、 京大に入学しました。
大学は想像の3倍忙しくて、大変でした。
まだまだ勉強もやることが多くて大変だけど、
大学に来て出会った、このKYOTO CARPで培った人生の軸をしっかり立てることで、
忙しいなかでも 頑張って生きていけています。人生が豊かになったと実感してます。
ありがとう
高校一年: ほっともっと でお弁当作り
高校三年: プールの監視員 貯めたお金で自動車とバイクの免許GETだぜ!
高校四年: 塾講師(数学,理科,英語,その他)
卒業後も1年間塾講師をやる。