寂しがり屋の臆病で泣き虫。
いつも母や家族にぴったりくっついて離れずにいて幼稚園で離れようもんなら延々と泣いて困らせておりました。周りが泥団子などで外遊びを楽しむ中、自分の手が汚れるのが嫌でずっと建物の中にいた記憶があります。
小学校は転勤族で6年間で福岡→大分→横浜→福岡。仲良くなったと思ったら、すぐにさようならでその度に泣いていました。小学校2年生からはミニバスケットボールを始めており、バスケットを通じて、転勤した小学校でもすぐに溶け込めました。
輝いていた中学生活と闇の高校生活。
中学校から転勤がなくなる。一番最初の自己紹介で早口であべーすけですと言ってしまし、それからあだ名が「ベーすけ」で広まってします。すけべみたいで心の中ではずっと嫌だったが、言えずにずっと笑って耐えた。ただ、バスケットボールの部活の仲間ははっきりと下の名前で呼んでくれたのでずっと好きでした。バスケットも部活内ではかなり出来たのでクラス内でも中心側にいることが出来、楽しかったです。
高校は受験に失敗、希望していた高校に落ちる。滑り止めで入った高校はスポーツにかなり力を入れている私立高校でバスケットボール部に入部しようとするがあまりのレベルの高さに挫折。それ以降は勉強しかせずに、授業に終わったら、一番に教室を出て、帰るような人でした。毎日辞めたいと言っていた人生の中でも暗黒期。
大学は西南学院大学に進学。
当時は公務員になりたくて法学部に行きましたが、後に自分は黙々と勉強することよりも様々な大人と話すことが好きだと気づき、就職活動に変更。
大学時代は学祭実行委員、総務委員、インターシップ、キャリアイベントの運営など幅広く活動をしてその際は自分はカラオケや飲み会などよりも人の役に立つこと、周りの方に喜んで頂くことの方が好きなのだと気づく。
但し、学生時代の経験が逆にプライドを造り、就職活動では惨敗。大学卒業しても内定ゼロという結果を生み出す。その後も半年間フラフラして後にご縁があった優良中小企業に拾われます。
福岡にある地元の商社中小企業に就職。営業職で現在2年勤め退職。
ご縁あり、株式会社クインテットに入社。