増田 美優
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ヒストリー

出身地

東京

幼少期の暮らし、体験

自我を持ち始めたときから平和主義者。争いごとを好まず、おもちゃを貸してと言われたら速攻で渡し、ましてや貸してなんて言わない子だったので育てやすかったと思います。

でも勝負事は必ず勝ちたい、闘争心メラメラな子でした。父も母も手加減一切なしの子育てタイプだったのでよく泣かされてました。未だに負けると泣きます。

小学校に上がる頃には、プール、バスケ、将棋、めばえ、たいこ、よさこい、やまは、等々をこなす多忙マンでした。しかし、お引越しと同時によさこい以外全てやめ、暇を極め毎日遊びに夢中でした。

中学・高校時代

中学では安西先生に憧れバスケ部入部を決めていましたが、何を血迷ってか駅伝部に入部。目覚ましが鳴り響き、母に叩き起こしてもらったと思ったら、朝から校庭をぐるぐる走る生活を送っておりました。放課後になるにつれて胸騒ぎがしてくる3年間でした。練習は本当にきつかったけど、あの頃が1番痩せていた。そういえば引退してから太りだした。駅伝部に入っていて良かった。今はそう言いきれます。自分自身成長させてもらった中学時代でした。

高校生では、1番苦手だったバトミントン部に入部。やっぱりセンスはなかったけど、最高のお友達がたくさんできました。部活中の鬼ごっこでは駅伝部での活動を生かしみんなを引っ張ることができました。

学校生活は、全力で楽しんでいました。行事も体育もお弁当も全部全力で暑苦しかったと思います。自慢できることは、皆勤賞かつスカートをほぼ折ったことがないことです。なので何で怒られても、でもスカート折ったことないで大抵乗り切ることができました。甘酸っぱい思い出はありませんが、本当に楽しかった。

大学・専門学校時代

大学は指定校で武蔵大学に入学しました。

新歓最終日にラクロス部と出会いました。

熱く語られて、ノリで入部を決めてました。

今では熱く語ってる側3年目です。

ラクロスというスポーツにであって、

ラクロスを通じて色んな人にであって、

たくさんの刺激を受けて

たくさん成長できました。

毎日が本当に楽しくて

最高です