小学校1年生からソフトボールを始める
小学校3年生から、レギュラーになる。この時のチームの監督さんに「お前は面白いやつやな将来芸能界行けるぞ!」と言われその頃から人を楽しくさせるためにはどうすれば良いのか?と考えて生き始める 。
小学校6年生になると、副主将を任せられる。
市の大会ではこの1年間ほとんど優勝し、副主将としてチームを鼓舞してきた。
中学校より、筑紫野アローズというチームで硬式野球を始める。
初めはソフトボールの打ち方と硬式の打ち方が違うことに苦労したが、持ち前の努力で苦難を乗り越えた。また、これまで守っていたサードから突然キャッチャーにコンバートした。チームの要としてチームの勝利に導けるように人一倍練習した。高校でも野球をやれる!という自信を作り出すことができた。
高校は、武蔵台高校に推薦入試で合格し野球を続けることになった。高校1年生はキャッチャーをしていたが途中から監督にバッティングを買われファーストに転向。高校で怪我をして悔しい思いもした。高校の悔しさを大学で晴らしたいと思い大学野球に挑戦することになった。
西南学院大学に公募推薦で合格する。
高校の悔しさを大学で必ず晴らしたいという思いで入部したものの野球では上手くいかない日々が続いている。試行錯誤も繰り返し、トレーニング方法も全てこれまでの自分とは違うことをやっているが、うまくいっていないのが現状である。また、3年秋からYouTube班のリーダーとして活動している。チームの宣伝活動の1つとしてYouTubeがあるので西南の野球部をもっと有名にしたいというのが今の自分の目標である。