槇尾 敦矢
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ヒストリー

出身地

東京都葛飾区

幼少期の暮らし、体験

わたくし、生まれも育ちも東京葛飾小岩。姓は槇尾、名は敦矢、人呼んで槇尾敦矢と申します。どちらも名前の様で滑稽ではございますが、以後お見知り置きのほどお頼み申します。

という感じで、1980年6月29日、高校の体育教師の両親から産まれた生粋の体育会系。

小学生時代はラグビースクールでキャプテン、地域のマラソン大会や運動関係の大会は6年連続優勝。人生のピークはここでした。

中学・高校時代

中学時代からちょっと道がそれ、お昼ご飯を食べると帰りたくなってしまう病にかかりました。

高校になると椎間板ヘルニア、膝の怪我などもあり、スポーツは趣味に。モテたいが為にバンドを結成。ドラムを担当、音楽漬けの毎日に。

大学・専門学校時代

将来やりたい事も特になく、大学に行くなどあまり考えてなかったが、親に『大学生が1番遊べるぞ』と唆され、勉強したくなかったので、もらえる推薦をもらい、亜細亜大学経営学部経営学科へ進学。

大学へは殆ど行かず、友達に代筆代行のバイトを依頼。自身はアルバイトと音楽に明け暮れました。なぜかゼミも専攻せず、卒論も書かずして見事に卒業。卒業式の日程も知らず、卒業証書は郵送されてきました…

職歴

もちろん就活などは行っておらず、卒業後はアルバイトのプロフェッショナルとして、人に言える仕事から言えない仕事まで色々経験。

ある時フロムエーナビを見ていて、なんとなく弊社に応募。2日前に笑笑でナンパしようとして、段差につまづき足を骨折していた為、車で面接に行き、ラフな格好だったのだが、キラリと光るものが代表の目に留まり働かせて頂くことに。そして、今に至る。