なっちゃん
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ヒストリー

出身地

茨城県ひたちなか市

幼少期の暮らし、体験

☆NATSUKI's History☆ Vo.1

超がつくほど泣き虫で甘えん坊、ワガママ。
友達が持っていて自分に持っていないものがあると、すぐに駄々をこねておねだりしていた。真似っこが得意で、自分で何かにハマったことはなかったように思う。
幼稚園の時は、学習塾に通わせてもらっていたこともあり、字を書くのが好きだった。運動は苦手。お話しすることも苦手だったからよく先生や友達と手紙でやり取りをしていた。

小学校はあまり良い思い出がない。いじめを受けたことや先生に見捨てられたこと、家族がバラバラで生活をしなければならなかった時期があったからだ。そして何よりお姉ちゃんなんだからしっかりしなきゃと言う思いが強く、辛いと打ち明けることができなかったからだ。唯一、打ち明けた先生には、〇〇ちゃんが安部さんのことをいじめるわけないでしょと言われた。ママが病気で入院していたこともあり、ママに余計な心配をかけたくないと作り笑いで生活する時期が続いた。仲が良かった友達も、周りの一言でそばにいなくなり一人でいることが増えた。その当時は辛かったと思う。それでもいつも笑顔が素敵ですと通信簿に書かれていた。私が笑顔でいればママはすぐに退院できると思い込んでいたから頑張れたんだと思う。良くも悪くも思い込みって怖いですね笑




中学・高校時代

茨城県立佐和高等学校 2017年卒業
☆NATSUKI's History☆ Vo.2

中学時代は、とにかく先輩、先生に噛み付いてた。ごめんなさい!
暗黙のルールとか規則が分からなくて変なところで自我を貫いてしまった。
剣道部の中で弱小でやる気が失せていた頃、外部コーチにしごかれた。一時間つきっきりの稽古。やり抜く大切さを知った。そして自分の弱さとの向き合い方を体を張って教えてもらった。最後の最後に、「弱音を吐かずに立ち上がって、一回も休まなかった。すごい。」と褒めらたときは、部活を辞めなくて良かったと心から思った。
中学3年生のときに、ひいお婆ちゃんが他界した。今でも後悔していることがある。それは、自分の都合で会いに行かなかった日があったことだ。いつ最後になってもおかしくないから行けるときに行こうと言われていたのに、言うことを聞かずに会いにいく日を自分から減らしてしまった。ひいお婆ちゃんが他界する前日も会いに行かなかった。ありがとうを伝えられなかったことをすごく後悔した。この後悔があるから、今では会えるときに会う。話せるときに話す。を心がけている。

高校時代は、何をするにも楽しくて新鮮だった。中学までは、メンバーも変わらず良い噂も悪い噂もすぐに回ってしまって少し苦労したけど、高校は違った。高校で出会った友達は今でも仲が良く、真面目な話もくだらない話もたくさんする。親友とも大喧嘩の末、すごく仲が深まった。
俗に言う、中だるみの時期に勉強を怠り夢をかなり断念してきた。自分のせいだが、、、
だけど、その時期に都内にたくさん遊びに行ったおかげで卒業した専門学校を見つけることができた。専門学校に行くために、​一人暮らしをするために、大切な心構えのようなものを家族で何度も話し合った。家族との仲も一気に深まった。


大学・専門学校時代

専門学校東京スクールオブビジネス 2019年卒業
☆NATSUKI's History☆ Vo.3

専門に入って、一人ではどうにもならないことばかりだということを体感した。成人を超えてからのいじめは怖かった。そして距離感を間違えてしまうと、いじめられていることさえ気がつかない。藤原先生に言われなかったら、気がつかないまま心も身体も蝕まれていたと思う。友達をやめる選択をして後悔は一切ない。新しい出会いの場を作ってくれてありがとうございました!!ゼミメンを始め、他学科にも友達ができて、友達を辞めたと思ってた友達と和解して、後輩ができて、、、人生で一番辛かったけど、一番濃い2年間。こうやって胸を張って言えるのには、家族、友達、先生の支えがあったから。常に感謝の気持ちを忘れずに。最後はみんな人だと先生が卒業式に話していた言葉を忘れないで生きていきたいと思う。

まだ23歳と甘えたことばっかり言っていないで、自分にできることをできる分だけ少しずつ頑張ろうと思う。他人の人生と比較して生きてきた分、これからは自分の人生を自分の意思で歩みたい!!!