太田 拓弥
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ヒストリー

出身地

和歌山県新宮市

幼少期の暮らし、体験

幼少の頃から身体を動かすことが好きだった私は,小学4 年生から自宅近くの柔道教室に通い,中学でも柔道部に入部するが,活動が週3 回程度しかなく,週末違うスポーツをやってみたいと思っていたところ,地元の高校でレスリング教室が開校される話をきいて,早速申し込みレスリングを始めることとなった。柔道とは違い低く構える姿勢や掴みどころのない競技に難しい競技だなと感じていたが,徐々に慣れ高校生からポイントを取れるようになりレスリングに魅力を感じるようなった。

そして,地元の和歌山県新宮高校に入学しレスリングを続けようと思い受験することとなった。甘い考えでいた私は「何とかなるだろう」と思い受験したもののあえなく不合格。人生の転機はここから始まったと言っても過言でもない。このことがきっかけでどんな事にも妥協しないところや,見返してやろうといった気持ちを今でも常に持ち続けている。受験失敗した私は今後の進路について,父と高校指導者に相談した所,茨城にあるレスリングの名門霞ヶ浦高校に勧められ入学する事となった。当時霞ヶ浦高校レスリング部は,全国トップクラスのチームであり,同級生には全国チャンピオンや実力者が多く全く歯がたたなかった。とにかく死に物狂いで食らいついていった。そして,徐々に実力がつき2 年生でレギュラーを獲得。岡山で開催されたインターハイでは,団体,個人戦でも優勝する事ができた。

高校卒業後,更に強さを求め,日体大に進学し,レスリング部に入部。入学したその年は,ソウルオリンピックの年であり,OBが金メダルを獲得,その大会に日体大OB7 名が出場するなど,世界で活躍する選手を育成するレスリング部であった。

大学卒業後、幼少の頃からの夢であった母校の高校体育教師とレスリング部コーチに。教師、レスリングコーチ、現役と多忙であったが、生徒の手前負ける訳にはいかないと言うプレッシャーもあったお陰で1994年初めて日本代表に。

1996年4月中国で開催されたアトランタオリンピックアジア予選に出場し,五輪代表権を獲得。そして,迎えた本番のオリンピック。夢にまで見た最高の舞台で,とにかく,全ての力を出し絶対諦めない試合をすると誓い試合に挑んだ。試合では文字通り全力を出し切り何とか銅メダルを獲得することができた。

職歴

1994年〜1998年,霞ヶ浦高校保健体育課教諭

1998年〜2000年,和歌山県教育庁

2000年〜2019年,早稲田大学レスリング部コーチ,監督

2005年〜2021年,ワセダクラブレスリング指導員

2011年〜2018年,ヤマハ発動機ジュビロレスリングコーチ

2016年〜東京五輪日本代表レスリングコーチ

2021年〜ワクワクレスリング教室指導員

2021年〜早稲田大学ラグビー蹴球部レスリングコーチ

2021年〜クインテット

学歴

1988年,霞ヶ浦高校卒業

1992年,日本体育大学体育学部卒業

2008年,筑波大学大学院体育研究科卒業