保育園
常に泣き虫な少しドジっ子なげんちゃん。竹馬では一番低いやつしか乗れず、女の子に喧嘩負けしていた。友達はだんごむし。すきな著書は「バムとケロ」。
小学校
保育園とは違う人物かのように、誠実で責任感を持つようになる。クラスでは学級委員長を務め、部活は卓球部と陸上部と水泳部の掛け持ち。特に陸上部では学年一位の走り幅跳び記録を残し選手へ、卓球部では市大会で2位にまで輝いた。また、ドッジボールの才能が凄まじく、至近距離で相手のボールを取る〝ゼロカウンター〟を身につけ、〝神の右手(ゴッドハンド)〟を所有していた。また、みんならだいすきくもんにいくもんに入っており、この段階で高校生の範囲をやるというチートをつかっていた。〝神童〟と呼ばれ、大人から崇め奉られた。バレンタインデーも数多くのチョコをもらい、この頃が全盛期だったのは言うまでも無い。
中学校
中学生は通知表が命だ。下手な行動はできない。常に先生の目を気にし、勉学に没頭する毎日。ここでは、〝真面目なクソ陰キャ〟である第二の僕が誕生した。家庭が厳しく、DSをしばらく持っていなかった僕はポケットモンスターをブラックホワイト2から始まることになった。このダイヤモンドパール時代を経験していない事実は僕の人生に今後大きな支障をきたしたことは言うまでも無い。部活は卓球部で経験者が4人しかいないため、学内では無双していたが、ほとんど練習をしないクソみたいな部活であったため、学外でボコボコにされた。まさに井の中の蛙である。
高校
中学校に頑張っておかげで高校は良いところに通えた。卓球部以外の部活に入ろうと思い、さまざまな部活見学にいった。一ヶ月後、気がつくと何故か僕は卓球部に入っていた。おそらく、別の人格が僕を支配していたのだろう。この頃から少しイキりはじめる。卓球部のくせに。周りの友達がみんな陽キャで彼女持ちであったため、勘違いしてしまった典型的なタイプだ。イキると言っても、ツーブロにしてみたり、眼鏡を外してみたり、休み時間に学校を抜け出してコンビニいく、くらいのただの普通のやつであったことに当時の僕はきづいていない。家にWi-Fiがなかったため、Youtubeなどを見れず、情報戦には常に負けていた。唯一通信容量を取らない、クラクラガチ勢だった。日本98位のクランに入ったこともある。そのクラン長がクラクラに課金しすぎで離婚したのはまた別の話。高校3年生になると東進衛生予備校という有料の監獄で名古屋大学を目指し、猪突猛進した。本当は琉球大学に行って、毎日イルカにのって過ごしたかったが、さすがに偏差値が低すぎて、模試で偏差値81をとってしまい、親と塾長に反対された。今沖縄に行っていたらどんな人生を歩んでいただろう。そう想いを募らせる日も少なくない。
大学生
大学生からは変わると言う想いの元、新歓に臨んでいたため、あの伝説のイキリキャラが誕生してしまった。過去は振り返らない主義なので、次にコマを進めよう。大学生では男子ラクロス部に入り、充実した毎日を過ごしている。過去の経験は未来への産物だ。今までの日々に感謝して、僕は、今日も、生きる。