小さいころから町田に住んでいました。
一人っ子だったので遊び相手はいなく一人で遊んでいました。一人でも苦はなく、むしろ楽しそうにしていたとのことです。
人が多い街中だと、よく周りを見ずに父親だと思って全然知らないおじさんの手をつないでいたりして怒られたりしていました。
保育園では毎回会う仲間ができてうれしかった思い出があります。
幼稚園と違い、一日中友達と遊びやコミュニケーションを取ることでシャイだった性格が少し治りました(笑)
小学生になってからはゲームをしたり、友達と外で遊ぶことも増え、年齢とともにやることが過激になりすぎてしまい怪我が絶えなかったです。
マンションの屋上や団地の上に登ったり、とにかく高いところが好きでした。
また、当時はファイナルファンタジー7を取りつかれたようにやっていました。
ハマるととことんやってしまう性格で、アイテムのドロップ、経験値の効率的な稼ぎ方を研究し効率的に出来るように日々考えていました。
自己紹介記事も書いていますのでよかったら見てください。
https://pando.life/qwintet/article/423
中学ではテニス部に所属していましたが、いとこにギターを貰ってからは音楽に興味を持ち色々なジャンルの音楽を聴いていました。
高校は英語の歌詞が理解できるようになりたいと単純な理由で、国際高校の英語科に進みました。そこでは軽音楽部に入りましたが帰国子女なども多く、皆上手な人ばっかりで自信を無くしていました。
しかし、昔から得意の分野では負けたくなかったので、ひたすらギターを弾いていました。
特に、Red Hot Chili peppers (レッチリ)という海外のアーティストにはまり、毎日練習していました。
レッチリはギタリストが何人も交代しており、一曲の中でもだれがカバーしたかによって全く印象が異なり、どんどんのめり込んでいった記憶があります。
※レッチリへの熱い思いはいつか記事にしようと思います。
話が脱線しましたが結果、努力が実りソコソコ弾けるようになりました。
高校2~3年生では、バンドを組み東京都の高校生が競うイベントでは表彰される事もあり、特典としてヘッドフォンの贈呈やレコーディングを無料でさせてもらいとても新鮮な経験をすることができて自信が持てました。
※レスポールカスタムを借りてノリノリでやっていました。
大学に行こうと決めたのは、比較的周りより遅かった記憶があります。というのもギターをずっと弾いてきたので、自分はギターの先生になりたいと思っていました。
しかし、その一択に絞るのはどうだろうと思い、穏やかに暮らそうと緑が多い自然豊かな大学に行くことを決めました。
大学を選んでいく中で、普段、政治や景気のニュースなど見ているとわからない用語や金融に興味を持ち始め経済学部に進もうと思いました。
しかし、入ってみたもののモチベーションが上がらず授業に行くことも少なくなっていきました。
あの時、ギターの先生になっていればもっと楽しんでたのかなと思っており、大学をやめる選択肢もありました。
そんな中、尊敬できる教授に出会うことができ、経済の勉強に対してのモチベーションが上がり、税金などの租税について色々学ばせてもらい一生の財産になったと思っています。
学生時代は飲食店、家の解体、Bar、車やバイクの磨きコーティング・クリーニングをする店で働いていました。
高校の頃働いていた飲食店では、とても尊敬できる先輩達に出会い、バイクの楽しさを教えてくれました。
高校を卒業したと同時に頑張って貯めたお金で欲しかったバイクGSX400 を買うことが出来ました。
今でもその先輩たちとは定期的にあったり、ツーリングに行っています。
家の解体については、聞いてもピンとこない方もいるかもしれませんが、単純に家を破壊してさら地にするといったものです。
次に学生時代働いていたBarについて紹介します。個人的に一番人生で変われたのがこの場所です。
シャイだった私ですが、オーナーやオーナーの友達の社員の方たちと共に、売り上げをどうやって上げていくか、初めてのお客さんや良く来るお客さんに対してどのように接していくのかの深く教えてもらい一生の財産になりました。
そして、クインテットに入るまでは車の磨き、コーティングをしている会社にバイトとして働いていました。職人みたいなものです。
実際にお客さんの車やバイクを作業するため、日ごろから責任が問われる環境でした。
上司や社長に仕事とは何かを教えてもらい、自分で考えて作業しろと常に言われていきました。
いろいろなジャンルの職を経験しましたが接客、サービスの質などすべてに意味があったと思います。
仕事をする上での考え方や効率の良いやり方を教わり、とてもいい経験になりました。