1999年3月19日、予定日から5日遅れで誕生。
命名権を持っていたのは母だったが、5歳上の姉が保育園の先生に「りえちゃん、うまれたよー」と口外してしまったためりえちゃんであることを強いられる。
ちなみに漢字を充てたのは父。
あれ、母の命名権は…?
中学校でソフトボールを始める。
入学当時145cmだった身長は3年間で20cm伸び、このようになってしまう。
3年生の春、甲子園で平凡なライト前ヒットを二塁打にした上林誠知選手に衝撃を受け、恋に落ちる。
3年生の夏、不振に喘ぎながらも宮城大会決勝で上林誠知選手が反撃の狼煙を上げるホームランを放つ。
3年生の秋、大好きな上林誠知選手が大好きなホークスにドラフト4位指名を受ける。
地元の公立校に進学し、ソフトボールを続ける。
選手10名、マネージャー1名のとても仲の良い代。
ラグビー出身者の監督が与えてくれたプロテインのせいで私の人生は狂い始める。
体重が1kg増えれば急速が1km/h上がるという言葉を信じていた。増量ならおまかせあれ。
いやー、ほんと。良いチームだった。
高校2年の誕生日、ソフトボール部のプロ野球仲間であるO方Eりかさんから、上林誠知選手の直筆サインを貰う。
迫田理恵ちゃんへ との名前入り。鼻血出して喜んだ。
はじめは連盟会計として九六に関わるも、リーグ戦で見たマネージャーの姿に心を打たれ、自分も硬式野球部に身を置くことを決意。
7月にマネージャーとして入部。
1年生が担当するマネージャー日記(アメブロ)の仕事を極める。
3月の合宿ではこれまでのアクセス数を大幅に上回る2,722アクセスを記録。(未だ破られていない)
2年生秋のリーグ戦でリーグ優勝を経験。
より一層マネージャーが楽しくなる。
3年でスタッフへの連絡を担当するも、苦手な早起きを克服できず朝からの連絡が遅れることもしばしば。
最上級生となり、主務に。
これまでと打って変わっての忙しさに日々走り回り、まだまだだと実感。
だがしかし、チームへの愛情は日増しに大きくなり困っている。
大学1年の3月、某大手レストランチェーン店でバイトを始めるもお局さんの新人いびりに耐えきれず7回の出勤で辞職。なかったことにしている。
大学2年の6月、某カラオケチェーン店で人生二度目のバイトを始める。幸い人間環境には大いに恵まれ深夜のバイトでもなんとかやっていく。しかし蓋を開けてみるとこの店のブラックぶりに驚き、辞職を考えるようになる。大学3年の11月に思い立ち即辞職。最終日にはスタッフが何名か駆け付けてくれ、プレゼントまで受け取ってしまった為、掌を返して良い職場だったと感動。
実は大学3年の8月からこっそりコールセンターで勤務。これまでとは打って変わって、正気か?と思うほどのホワイト企業。頑張ります。