貴源治 賢
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ヒストリー

出身地

茨城県猿島郡境町

幼少期の暮らし、体験

出生は栃木県小山市で、中学生までは茨城県猿島郡境町で育ちました。

小学1年生から2年生までは結構弱虫でした。
兄と僕は、小学1年生の時点で身長が137cmあって誰よりも大きかったので「デカい双子」ということでそれぞれにいじめられて泣いていました。
本当に悔しくて、この悔しさをどうしようかと思ったときにふと「立ち向かえばいいんじゃないか」という思考に切り替わり、3年生からは、やられた奴一人ひとりをやり返していくようなやんちゃ者になりました。

 この時はまだ相撲とは無縁で、むしろやりたくないと思っていました。
祖父母の家に行くとテレビで相撲が流れていたのですが、いつもチャンネル変えてたぐらい嫌だ嫌だって言ってるような子どもでした。

 相撲を始めるきっかけになったのは、4年生のとき親父さんに「相撲やってみないか」と言われたことです。後からわかったことなのですが、この時、兄も僕も将来の夢がなくて「自分には何ができるのかわからない、どうしよう」と子どもながらに焦っていたんです。当時は部屋に入ることを否定していたのですが、部屋に入ることが頭から抜けなくて、5年生6年生になるにつれてその話が現実味を帯びてきたとき、自分で部屋に入ることを決断しました。

中学・高校時代

境町立境第一中学校

中学1年生の時に母と友人と初めて貴乃花部屋を尋ねました。
親方も景子夫人も不在だったのですが、訪問した際に兄弟子の方と撮らせてもらった写真を見て、親方から「中学の部活を引退したらすぐに連絡ください」と電話をいただきました。服の上から見た筋肉の付き方が理想的だったようです。それをきっかけに貴乃花部屋に入りました。

 中学ではバスケ部に入っていたのですが、3年で引退試合が終わり、青春時代と言われるのもこれが最後だと思ったので好きに遊ばせてくれと親父に頼んでいました。
人生最後だから髪の毛も染めようかななんて思っていたのですが、引退試合の3日後に貴乃花親方から「部屋に来い」と連絡をもらいました。
僕の青春時代もこれで終わってしまうんだなぁ…と思いましたが、未経験で相撲を始めるには少しでも先に練習しておかないと勝てないと思っていたので、連絡をいただいた次の日には親に東京まで送ってもらい体験入門しました。

 稽古はほとんど見ているだけだったのですが、それだけでも吐きそうになるような雰囲気の重さでした。体重も三日間で12kg増え、食べるのも本当にしんどかったです。
でも、体験入門の三日目に貴乃花親方からまわしをプレゼントされたことがすごく嬉しくて、当時は稽古が楽しく感じました。初めて兄弟子に勝ったときに親方から「お前ら二人は17歳で関取になれ」「俺の記録を超えろ」と言われてからは、どうやったら強くなれるかだけを考えトレーニングする毎日でした。

体重は増えていましたがバスケもしたかったので、地元にいるときは毎日部活に顔を出していました。トレーニングして部活参加して部活終わったらまたトレーニングして、部活のない日は土手行って四股踏んで…という感じで常に体を動かしてました。何が正解か当時は分からないので、自分で手探りしながら色々やっていました。

中学卒業後、貴乃花部屋に入門しました。

職歴

目標は横綱です。
来年の目標は、関脇大関以上、せめて大関を狙える位置までは行きたいと思っています。

ここ3年は辛い時期でしたが、周りの方々に恵まれて応援してもらっている中でようやくトレーニングにも身が入るようになってきました。
短い人生の中でも、相撲界で生きていることは楽しい人生だと感じています。
今は、いろんな人に出会っていろんな話をする中で自分を見つけていく時間を大切にしています。