人工知能(AI)の発達により様々な技術革新が行われる現代において、人が介在する職業はこれから減少に向かう過渡期を迎えるそうです。
自動車の自動運転、投資や将棋の世界でもAIの活躍が報道され、まだ多くの人が想像だにできない未来がその足音を早めています。 こうした技術の進歩は、利便性の向上や何らかのリスクヘッジの手段としてはとても有用ですが、人的要因を排除することで何かが起こった時、責任の所在が不明瞭になるという一面を持っています。
テクノロジーの発達により、人はあらゆるリスクを軽減してきました。
物理的リスクに対して安全性を向上させることは素晴らしいことです。心理的リスクに対しても同様です。数十年前と比べれば自分の属するコミュニティから抜けることは容易く、ダイバーシティの推進によって個々が尊重される世界が形成されつつあります。
反面、私が今後の課題に思うことは、
心理的リスクを忌避するために、人との繋がりは希薄になっていくのではないか、ということです。
今は過渡期なのかもしれませんが、誰かがSNS等で発信した何気ない一言が大炎上を起こし、差別主義者のレッテルを貼られることは日常的に起きています。普段は淡白なネットユーザーが、火種を見つけると途端に過干渉を起こすことが常態化しています。
敢えてそのような場所に飛び込む必要はないわけで、人々はコミュニティから遠ざかり始めます。
「責任」というのは誰しも望んで得たいと思うものではないかもしれませんが、 私は「責」のある役割にこそ仕事の価値がある、と考えています。
責任が自分に及ばなければ仕事は適当になるでしょうし、全てを外部要因にしてしまうこともできます。 しかし、責任を背負い、プレッシャーを感じる機会が失われるほど、真に大切な「自分の人生」や「生きがい」といった局面で、物事の優先順位をつけることが困難になるのではないでしょうか。
然るべき時に何かを守るために行動できる、それが利他的であれとは言いませんが、そうした「自分に対しての責」を、まずは自分自身がしっかりと体現していきたいと思います。