ほーりー
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ヒストリー

出身地

鹿児島県鹿児島市

幼少期の暮らし、体験

3歳から同じアパートのお姉さんの影響で水泳を始めるも顔もつけれないほどのビビリを発揮。

左利きだったので右手での字の矯正をさせられてかなり嫌がっていたがなんだかんだ矯正できた。今では矯正してくれた親に感謝している。

卒園式の後に熊本の実家に1人で新幹線で行ったことが人生で一番の冒険だったかと思われたが、じゃがりこを食べていたらあっという間に着いたのでそこまですごい経験でもなかった。

小学生低学年の頃は名前がたけしだったこともあり、女の子からたけのこと言われて泣きながら家に帰るほどの弱気な性格だった。
小学2年生になり、学校のサッカー少年団に興味があり入部。小さい頃から父とサッカーボールを蹴っていたので、技術は多少あったが持ち前の弱気さでボールや敵を怖がってしまい何度も辞めたいと思っていた。しかし、周りからはメンタルの弱さえ克服したら絶対にいい選手になると期待されていたので、なんとか頑張って続けた。
小学4年生になり試合に少しづつ出してもらえるようになるも、毎回消極的なプレーをしていたため、監督に怒られ続ける日々だった。そして、いつものように布団で泣きながら寝ついた次の日に突然性格が入れ替わったようにプレーが変わったことで、その後すぐにスタメンになり選抜に選ばれた。

中学・高校時代

熊本県立大津高等学校 2016年卒業

中学・高校は強豪でサッカーをするために熊本に寮生活でをしていた時期であり反抗期のピークであった。

中学の頃は授業はほとんど寝ており、サッカーに明け暮れる日々だった。2年生の頃にスタメンになるも、度重なる監督の交代により、3年生最後の監督と衝突してしまい、サッカーを完全に辞めるつもりでいた。しかし、小学校の頃の友人が癌にかかり、サッカーができなくなってしまったため、友人の分も頑張ろうと決め、なんとかやり切った。
高校では、自分を高く評価してくれる学校に行くか、確実に全国大会に出場できる学校に行くか迷った結果、自分の可能性を信じて県内で1番強い高校に進学することに決めた。

高校最後の選手権ではチームは選手権に出場したが、私自身は夏からセンター試験で休部していたためほとんど関わっていなかった。最後まで続けた方がよかったかと今でも考えるが、あの時必死に勉強していなかったら広島大学に進学できていなかったので最近になってようやく踏ん切りがついた。

大学・専門学校時代

広島大学 2020年卒業

初の一人暮らしで楽しみにしていたが、生活費を稼ぎながら大学生活をしなければいけなかったので1年次は月に200時間以上働きながらサークルや授業に行っていた。
その後もバイトに明け暮れていたら大学2年次が終わってしまい、急に焦りを感じて大学3年次から短期留学、長期インターン、就活を始めた。

たまたま行った賢者屋のイベントに参加していつの間にか優勝していつの間にか東京でインターンをしている。同時に、広島の学生団体で新支部立ち上げにも関わり、日々多忙な生活を送っている。