遠藤 幸穂
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ヒストリー

出身地

新潟県

幼少期の暮らし、体験

・幼少期
 新潟県で生まれてすぐに奈良県に引っ越しました。奈良の穏やかな時間の中でのんびりと過ごしました。

・小学生
 小学校に入学する前に両親が離婚し、私は母に引き取られました。大阪府に引っ越し、終末は奈良に住む父の元へ遊びに行っていました。小学校の高学年になるにつれて父を鬱陶しく思うようになり、遊びに行くことはなくなりました。


中学・高校時代

・中学生
 中学校の入学式前日に父が心不全で急死しました。10日前までメールでやりとりをしていました。父からのメールが鬱陶しく、「ウザイから送ってこないで」と返信したのが最後のやりとりになりました。警察から急死の連絡が入ったときは何とも思っていませんでしたが、父の遺体を見ると涙が止まりませんでした。
 父が亡くなってからは「人には優しくしよう」と心に決めて、友人のお願いや母の言いつけなど全てを受け入れるようになりました。このとき、極端に感情を押し殺してしまったため、後に怒りを感じることができなくなり、大学時代に痛い目にあいました。
 美術部に入り、比較的のんびりと過ごしました。

・高校生
 祖母がボケてきたからという理由で、私は新潟県に住む祖父母と暮らし始めました。高校は新潟県の高校に進学しました。祖父母家から始発で片道1時間半の高校へ通いました。終電も早く、部活動には一切参加できませんでした。
 高校二年生の夏に帰省した母と進路の話になりました。美大か専門学校に進みたいという私の意見を「だめです」の一点張りで制し、最後には「あなたには才能がない」と言い放った母の言葉に深く傷つき、その後高校を卒業するまで絵が描けなくなりました。
 母を納得させるために工学部を選び、進学しました。

大学・専門学校時代

・大学生
 大学生時代は何もやる気がなく、卒業したら工学の分野に進むんだろうなと漠然と感じていました。大学二年生の冬になり、就職活動を本格的に始めることになりました。そのとき私は無意識的に広告代理店のみの面接を受けていました。
 周りの友人や先生に相談して、ようやく母に逆らうことと自分の本心に気がつきました。意を決して「第一志望の企業から内定が出なければ死にます。このまま興味のない分野を進んでも楽しくありません。」と母にメールを送り、言葉の通り死ぬ気で最終面接に挑みました。

・専門学生
 第一志望の記号の最終面接に落ちてから母と話し合う機会があり、私は専門学校へ再進学することになりました。遠回りになりましたが、ようやく自分の好きなことを学ぶ機会を得ました。
 これまでの経験は嫌なことばかりでしたが、「自分の意見をはっきりと伝えること」「他人だけでなく、自分も大切にすること」を学びました。これからは自分の好きなことをめいいっぱい吸収し、発信していきたいです。