渡辺 隼也
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ヒストリー

出身地

東京都江東区

幼少期の暮らし、体験

とにかく外で遊び、冬でも半袖半ズボンの風の子でした。毎日膝やひじに擦り傷を作り、先生が母親に謝っていたそう…笑。母はその度に「元気の印なんで!!」と言っていたそうです。そんな母も冬でも半袖で親子揃って元気な幼少期でした。今も元気ですが!!笑

卒園アルバムの将来の夢は総理大臣になることでした。ニュースで毎日首相官邸で挨拶する小泉元総理に憧れていました。

小学校時代

小学校もとにかく遊びに遊んだ6年間でした。学校が終わってランドセルを家に置いたら、たとえ帰りのチャイムまであと15分でも公園に遊びに行き、ドッジボールやサッカーをして遊びました。勉強も何一つ不便なくできていたと思います。4年生からサッカーを習い始め、のめり込んで練習するようになりました。

中学・高校時代

中学時代

中学は地元の公立の中学校に進みました。8割が小学校からの友達で学年みんな仲がよかったです。サッカーを続けたかったのですが、サッカー部がなかったため、クラブチームで続けることになり、週6日練習と試合をしていて、サッカー漬けの毎日を送りました。学校でも学級委員や生徒会を務めるなど色々なことに積極的にチャレンジしました。高校受験は第一志望の都立小松川高等学校に推薦入試で受かることができ、まさに順風満帆でした。

高校時代

しかし、高校に入り初めて挫折を味わうことになりました。サッカー部は様々な区から優秀な人がたくさん入ってきてレギュラー争いは熾烈になり結局最後までAチームで出ることはできませんでした。勉強でも進学校であったため志の高い人たちが集まり自分はかなり埋もれてしまい、次第に自信をなくしていってしまいました。大学受験はこのまま納得のいく結果にならず、浪人することを決意しました。

浪人時代

必ず第一志望の早慶に合格するべく予備校に入りましたが、友達は一切作らず、開館から閉館までひたすら勉強する日々を過ごしました。自分にとにかく厳しい1年にするため家に帰るまで携帯は1度も触らず、1日20分のみと決めていました。唯一羽を伸ばした日は10月でさすがに気が滅入ってしまっていたので映画を観に行きました。しかしそこで観たのは「エルネスト」というチェ・ゲバラの映画で、世界史の役に立つようにと選んだものでした。今思うとそこまで自制できていたのは恐ろしいほどです。しかしその甲斐あって第一志望の慶應義塾大学法学部に合格できたので、良い1年となりました。

大学・専門学校時代

慶應義塾大学法学部政治学科に入学しました。

サークルは国際関係会のみに入り、はじめはなかなかコミットメントできず、寂しい大学生活を送っていました。ですが、1年の夏休みにインドネシアの渡航プログラムに参加して大きく変わりました。とても信頼できる仲の良い友達と先輩ができ、さらに海外にも強く興味を抱くようになりました。冬にはイタリアに3週間ほど滞在し、良い思い出を作ることができました。秋にはサークルの中の1つのプロジェクトのメンバーとして活動を始め、2年生の夏に本番を迎えました。こちらもまた最高の同期と、優しく面白く素晴らしい先輩たちに恵まれ、忘れられない夏を過ごすことができました。この夏には一緒にインドネシアに行った友達とスペインとモロッコに旅行しました。サークルでの人の出会いは全て素晴らしいものばかりで、日々色々な刺激をもらって最高に楽しい大学生活を満喫できています。