島津晃介
フォロー コンタクト

ヒストリー

出身地

新潟県

幼少期の暮らし、体験

幼少期は落ち着きがなく、一日中動き回っていました。絵を描くことが好きで、特に風景画を特に好んで描いていました。また、レゴブロックで遊ぶことも好きで、建物や乗り物を自分で考えて作ることに喜びを感じていました。友達は2,3人ほどであまり多くはなく、基本的に遊ぶのは一人でした。幼少期に好きだったものはジブリ作品、ラーメン、かにかまです。小学校に進学すると、テレビで見た2017年の春の選抜で大阪桐蔭高校に夢中になり、高校野球ファン、大阪桐蔭ファンになりました。また、小学校6年生ごろから中学校2年生まで反抗期でした。無視する系の思春期男子だったと思います。

中学・高校時代

私の高校生活の重要ポイントは①エレキベース②留学③高校野球です。
①エレキベース
私は近所の公立校に進学し、ジャズを演奏するブラスバンド部に入部しました。そこでエレキベースを担当することになったのですが、私はすっかりその重低音の虜になり、高校生活の大事な時間の大半を練習に注ぎ込みました。その影響もあって化学基礎のテストで6点を取るなどの支障も出ましたが、後悔はしていません。私の青春はエレキベースでした。
②留学
私は高校2年生のときに夏休みの1か月を使ってフィリピンに留学しました。そこで様々な刺激的な経験をしたのですが、特にフィリピンのスラムに住むストリートチルドレンには大きな衝撃を受けました。教育の機会を与えられず大人の言われるがままに物乞いなどをさせられる彼らの姿から、私は教育の意義に気づき、「教育について学びたい!」と強く思うようなりました。
③高校野球
高校2年生の時、私は大学で教育について学ぶことは決めていましたが、どの大学に進学するかはまだ決めていませんでした。そこで私は自分が高校野球ファンであったこともあり、「どうせ進学するなら毎年甲子園で野球を観戦できる場所にしよう」と思い、学費のことも考慮して甲子園に1番近い国立大である神戸大学に進学することを決めました。

大学・専門学校時代

神戸大学に進学した私は、軽音サークルの新歓で教育系事業の起業を考えている同回と出会い、1回生のときに大学生と高校生をオンラインでつなぐ事業を開始しました。この事業はうまくいかなかったのですが、私はこの時の経験を活かすために、非営利ではあるものの同じような事業を開始していた団体「WAT'er」に参加し、現在、同団体で高校生と大学生をつなぐサービスを全国に展開するため奮闘しています。また、それとは別の話になりますが、軽音サークルにも入り、ベースを弾いています。

職歴

甲子園売店
ラーメン屋
ダイエーレジ