畠山 絵里加
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ヒストリー

出身地

東京都江東区

幼少期の暮らし、体験

母に聞いてみたら、色々なエピソードがありましたので記載します。

【おませさん
弟が生まれた時に祖母に預けられる際に、寂しかったのか少しご立腹(?)で「こんなことはもう懲り懲りだから(偉そうに腕組み)」と言っていた。(祖母曰く)

弟大好き弟が人見知りだったためか、面倒をよく見ており、守ってあげるような男前な所があった。

正義感つよい
母親に代わって、大好きなセーラームーンになり、イタズラする弟にお仕置きしていた。

好きなことへの情熱すごい
本が大好きでノンタンの本を暗記するまで父に読んでもらっていた。

泣き虫なのに好奇心旺盛
家族で牧場に行くと怖がらずに動物に餌やりしていた。ただ、動物に餌をあげていた際、後ろから別の動物にスカートを食べられ、怖かったのか大泣きしたエピソードあり。


中学・高校時代

【中学時代】
この頃は、バドミントンに夢中でした。
楽しかったのですが、辛かった記憶の方が色濃く残ってます。辛かったのは、夏は暑くて冬は寒い体育館での厳しい練習でした。コーチの練習が本当にキツかった。

試合をしたくてもさせてもらえず、筋トレと基礎練習の日々…何事もまずは基礎から!というのは、今では大事なことだとよく分かります。
でも、当時はそう思えなかったので、ただただしんどかったですね。努力したかいあって大会出場メンバーに選ばれた時は、本当に嬉しかったです。

ただ、厳しい練習をこなしていたにも関わらず、本番になると緊張してしまい、対戦相手の涙だったり悔しがる姿を見ると思うように力が出せないことがありました。
その時にコーチに言われた「メンタルが弱い」と言われたことは、今でも鮮明に覚えています。厳しい練習をして、せっかく頑張って試合に出れたのに、当時はどうして良いか分かりませんでした。
ペアを組んでる相手にも、試合に出れなかった人にも申し訳ない気持ちはあったのに、解決方法が分からず、良い結果を出すことが出来なかったことを後悔しています。
コーチの言葉は、今でも仕事で心が余裕がない時とかに、自分を奮い立たせてくれる言葉になっており、今でも感謝してます。

【高校時代】
絵を描くことが好きだったので、新設の美術コースに入りました。部活は演劇部、美術部に入りました。
演劇部は、中学の時の学芸会で褒めてもらったことをキッカケに入部しました。部活の雰囲気が合わず、一年程で退部してしまったのですが、辞めてからもずっと演劇は好きで、3年になった際には有志でメンバーを集め、学園祭で企画をしました。
やりたいことになると全力で考えて、行動するのは今でも変わっていないかもしれません。
美術部では、絵の上手い友人に触発されて絵をたくさん描いていました。美大に行きたいと思い、予備校の夏期講習に行ったものの、美術大学を目指す方々のレベルの高さに圧倒され、専門学校への進学を決めました…(諦め早い)


大学・専門学校時代

卒業を控えていたにも関わらず、やりたいことや就職先が決まっていなかった私に、お世話になった先生がかけてくれた言葉を今でも覚えてます。

「とりあえず、やってみたら?それで駄目だったら辞めたらいいじゃん」

この言葉は、自分の気持ちを軽くしてくれました。
先生にお礼を言っても、飲みの席だったので酔っ払って覚えてないと言うのですが…

デザインの仕事をしていけば、いつか絵を描かせてもらえるタイミングもあるかもしれないと密かに希望を抱きながらの初就職になりました。

職歴

これまで私は3社でデザイン業務を担当させていただきました。
・某鉄道会社の広告代理店
・デザイン会社
・化粧品会社

現在はご縁があり、株式会社KNOCKでデザイン・YouTubeに関する業務を担当しています。
これまでの経験を活かし、KNOCKの皆様やクライアントの皆様に貢献できるよう、日々精進していきます。