鈴木 佑輔
フォロー コンタクト

ヒストリー

出身地

神奈川県横浜市金沢区

中学・高校時代

中学時代は野球部という、初めて熱くなれるものに出会い、部活に没頭していました。

思えばこの時に能動的に励むことの楽しさを知りました。

練習外でも、授業中に空気イスをしたり、自作の大リーグボール養成ギプス(巨人の星に出てくるやつ)を学ランの下に着込んで学校に通ったりしていました。体育の授業には重りをつけて出席していて、先生に怒られたこともありました。変な子だったかもしれません。

この時は努力の仕方を「ひたすら頑張る」というやり方しか知らなかったと思います。

このように、常日頃から、日常にどれだけ練習を取り入れることができるかを考えている子でした。

運よく、3年生の時に地元高校から部活動推薦をいただくことがありました。強豪校に実力を認めてもらって有頂天になったことを覚えています。しかし、高校では体操競技をやろうと決意していたので推薦はお断りしました。


高校時代は体操競技というスポーツに全力で取り組んでいました。

高校を卒業する時には体操漬けの大変な高校生活だったと思っていましたが、今振り返ってみると、人に恵まれていた幸せな高校時代だったと感じています。

思い出すとジーンとするような記憶がたくさんあるのが、何よりの証拠なのだと思います。

試合をよく見に来てくれたクラスの友達、昼休みにわざわざピアノを聞かせてくれた音楽の先生、部室で好きな女子の話をした先輩、頑張り方を間違えて怒ってくれた部活の先生方など、今でも一緒にご飯にいくような大事に思える人がたくさんできました。

大学・専門学校時代

大学はどちらかというと学問より、部活動を優先して学校を決めました。

先輩のつてで、大学の体操部の先生と知り合ったことをきっかけに、体操部へのお誘いをいただき入学しました。

大学も体操漬けの毎日でしたが、その中でも人の考え方や価値観について強く興味を持つようになったことは大きな変化だったと思います。

それと同時に、頑張り方や自分がチームの中でどう頑張るべきかを深く考えるようにもなりました。

職歴

大学の時に人の考え方や価値観に強く興味を持ったことから、ドキュメンタリー番組を扱っている、テレビ番組制作会社に新卒で入社しました。この時は僕の人生で一番アウトローな生活を送っていたと思います。秋田の熊を撮るために3日間、山中張り込んで、時には土の上で寝ることもありました。しかしそんな日々の中でも、ドキュメント系の番組ということもあり、日本全国の色々な方々の人生やお話を聞けたことは、とても勉強になりました。

そこからもっとビジネスに寄った現場で働きたいという思いから、総合広告制作会社に入社しました。グラフィック広告のプロデュース業務を担当していたこともあり、様々な業界の色々な方々とお会いしてきました。そういった方々のお話を自分の中でどう消化吸収すべきかを業務の傍ら日々考えていました。

前職の勉強会で転機が訪れました。勉強会の内容は現代のIT技術について。1.5時間くらいの短い勉強会でしたがすごく心が動いたことを覚えています。それからIT技術について興味を持つようになり、Webサイトや簡単なアプリを作っていくうちにITの開発職を志すようになりました。

そんな時にクインテットに出会い、作っているサービスやマインドに勝手ながら親近感を感じ、入社を志望しました。